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デーリー・エクスプレス🔗🔉

デーリー・エクスプレス (でーりーえくすぷれす) Daily Express イギリスの日刊大衆新聞。1900年にC・アーサー・ピアソンが創刊。半ペニーで、当時多くの新聞が一面に広告を載せていたのに、アメリカ式にニュースで埋める方式を採用した。16年にマックス・エイトケン(後のビーバーブルック卿{きよう})がその支配権を握り、18年には同系紙として日曜版を創刊、20年代に入ると、ロンドンのほかにマンチェスター、グラスゴーでも発行を始め、全国紙となった。それ以来、この新聞はイギリス帝国第一主義の宣伝に利用されてきたが、一時は部数400万部を超えたにもかかわらず、77年建築業者ビクター・マシューズに買収された。発行部数約188万3300部(1985)。なお、イギリスで1877年に創刊されたが短命に終わった別の同名紙がある。 <伊藤慎一> 【URL】[EXPRESS Online(英語)] http://www.express.co.uk/

デーリー・テレグラフ🔗🔉

デーリー・テレグラフ (でーりーてれぐらふ) Daily Telegraph イギリスの日刊高級紙。1855年、新聞に対する課税の撤廃された年に『デーリー・テレグラフ・アンド・クーリア』という名で創刊され、まもなく定価を2ペンスから1ペニーに値下げして大衆廉価新聞の仲間に入った。アメリカ式の編集をして大見出しを使うことで成功、3年後には『タイムズ』を上回る部数になったと称し、62年には100年近い歴史をもつ『モーニング・クロニクル』を吸収合併した。ジョージ・オーガスタス・サラをはじめ、有能な記者が相次いで採用されて、80年代にはイギリス最大の部数を誇るようになり、その発行者エドワード・L・ローソンはバーナム卿{きよう}となったばかりか、「新聞界の父」という称号を贈られた。1937年には『モーニング・ポスト』(1772創刊)をも合併し、新しい所有者カムローズ卿のもとで発展、第二次世界大戦後も高級紙の列に入りながら100万部以上の部数を維持してきた。発行部数約121万1900部(1985)。 <伊藤慎一> 【URL】[The Daily Telegraph(英語)] http://www.dailytelegraph.co.uk/

デーリー・テレグラフ事件🔗🔉

デーリー・テレグラフ事件 (でーりーてれぐらふじけん) Daily Telegraph Affair ドイツ帝国の憲政の危機を招いた事件。ウィルヘルム2世はイギリス、ドイツ間の友好関係の助長のために、イギリスの友人との談話を勧めに応じて発表しようとし、その草稿の吟味を帝国宰相ビューローに依頼したが、宰相はそれを下僚に任せたまま、自分は通読もせずに皇帝に返し、それが1908年10月28日のイギリス新聞『デーリー・テレグラフ』に掲載された。しかしこの皇帝談話は不見識であるとして、逆にイギリスで不興を買い、ドイツ国内では皇帝の個人的支配の典型的な現れとみなされて、世論の総批判を受けた。ビューローは帝国議会で皇帝をかばったが、しかし政治に対する皇帝のかかわり方が変わらなければ、今後任務を遂行しえないことを強調したため、皇帝は「憲法に基づく責任を遵守し、帝国政策の恒常安定を保証する」ことを表明しなければならなかった。皇帝のビューローに対する恨みは残り、翌年の宰相罷免につながったが、この危機から憲政上の成果はなにも生じなかった。 <岡部健彦>

デーリー・ヘラルド🔗🔉

デーリー・ヘラルド (でーりーへらるど) Daily Herald イギリスの日刊大衆新聞。1911年1月、ロンドンの印刷工がストライキを起こした際に創刊された週4日刊、4ページの新聞だったが、翌年4月一般全国紙を志して発行を再開。第一次世界大戦中は週刊紙となったが、19年からふたたび日刊となり、22年、労働組合総評議会の機関紙として発行されるようになった。経営難から29年にはオダムズ・プレス社に株の51%を譲渡、労働党の持株は49%となったが、編集方針は労働組合会議(TUC)の政策に沿う一般商業紙となり、激しい販売競争のすえ100万部を突破するに至った。第二次大戦中、爆撃によって大被害を受けたにもかかわらず、労働党の勢力が伸びたため200万部以上を維持したが、商業紙として生き延びるには編集方針上の制約があって、61年、インターナショナル・パブリッシング・カンパニー(IPC)に買収された。その後も経営内容は向上せず、64年廃刊され、後継紙として朝刊紙の『サン』が発行されている。→サン <伊藤慎一>

デーリー・ミラー🔗🔉

デーリー・ミラー (でーりーみらー) Daily Mirror イギリスの大衆日刊新聞。1903年、ノースクリフ卿{きよう}が婦人のための新聞として創刊したが失敗したので、鏡の意味であるミラーを写真に読み換え、タブロイド判の写真新聞に切り換えることによってようやく部数を伸ばすことに成功した。ノースクリフの弟ロザミア卿がその経営を受け継ぎ、その後所有者はかわったが、センセーショナルなニュースを載せると同時に、労働者階級を支持する社説を載せることによって、戦時中から戦後にかけて部数400万部以上となり、一時は世界最大の部数をもつ日刊紙といわれた。1951年、ノースクリフの一族であるセシル・キングがその社長となったが、68年、労働党ウィルソン内閣に対するあまりにも激しい社説を書いたため失脚した。『デーリー・ミラー』は国際複合企業体であるリード・インターナショナルの一部門にすぎないものとなったが、技術革新を受け入れることにも成功している。発行部数約316万9200部(1985)。 <伊藤慎一> 【URL】[The Mirror(英語)] http://www.mirror.co.uk/

デーリー・メール🔗🔉

デーリー・メール (でーりーめーる) Daily Mail イギリスの朝刊全国大衆紙。ロンドン、マンチェスター、エジンバラで発行されている。1896年、ノースクリフ卿{きよう}が「定価半ペニーの一ペニー新聞」と称して発行したものだが、同時に「忙しい人のための日刊紙」と称し、現代大衆新聞の典型を示す最初の新聞となった。記事は短くて読みやすく、また海外紙の要約も載せるなどのくふうを凝らしたほか、毎日読み物記事を載せて、ほぼ現在の新聞と似た編集形態をつくりだし、婦人や労働者階級にも訴える内容を盛り込んでいた。第一次世界大戦中は、前線での砲弾不足をセンセーショナルに報じ、陸軍大臣キッチナーを攻撃して大問題となったが、戦後にかけてアソシエーテッド・ニューズペーパーズ社チェーンの主力紙となった。大衆紙といわれながら、海外通信網を組織することにも力を入れ、1960年、『ニューズ・クロニクル』を合併して、同チェーンの主力として活動している。発行部数約182万8600部(1985)。→ニューズ・クロニクル <伊藤慎一>

ニューヨーク・デーリー・ニューズ🔗🔉

ニューヨーク・デーリー・ニューズ (にゅーよーくでーりーにゅーず) The New York Daily News 『ウォール・ストリート・ジャーナル』に次いで全米第二位の発行部数をもつ大衆紙。『シカゴ・トリビューン』の発行者パターソンJoseph M. Patersonが1919年に創刊したタブロイド判朝刊紙で、写真を多用し、犯罪やスキャンダルなどセンセーショナルなニュースを載せて大衆の人気を博した。しかし、47年の240万部をピークに部数が減少し始め、とくに70年代以降、読者の郊外流出によりその傾向が顕著になった。加えて、オーストラリア出身の新聞経営者K・R・マードックに買収されたタブロイド判夕刊紙『ニューヨーク・ポスト』との競争が激化し、退勢挽回{ばんかい}を図り80年に夕刊紙『トゥナイト』を発行したものの、部数が伸びず1年余で廃刊。81年末、業績不振で売却を宣言するまでに至ったが、翌年4月、労働組合の生産性向上とコスト削減への協力を条件に存続が決まった。その後も全米二位の発行部数は維持されているが、依然として不安定な経営状態が続いている。発行部数は135万3200部、日曜版166万2000部(1985)。 <鈴木ケイ> 【URL】[New York Daily News(英語)] http://www.nydailynews.com/

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