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視覚障害教育🔗🔉

視覚障害教育 (しかくしょうがいきょういく) 視覚に障害を有する人への教育、とくに全盲{ぜんもう}および弱視{じゃくし}の児童・生徒への教育をいう。 【沿革】 歴史的には、盲教育から始まる。1784年、フランスの啓蒙{けいもう}思想家バランタン・アユイValentin Ha?y(1745―1822)によってパリ盲学校が創設され、これが組織的盲教育の初めとなった。アユイは、目の不自由な少年が硬貨を識別できた感覚の鋭敏さから指導法のヒントを得、浮彫りの線文字や凸字印刷を利用し、読み書きなどを教えた。その後、欧米ではこれに倣って各地に盲学校ができた。さらに1829年フランスの盲人ルイ・ブライユLouis Braille(1809―52)による点字の発明は、盲教育を一段と発展させた。また、1900年にはアメリカにおいても、シカゴ市の公立学校内に盲学級ができた。  わが国では、古河太四郎{ふるかわたしろう}(1845―1907)によって1878年(明治11)京都盲唖{もうあ}院が設立された。また80年には東京に楽善{らくぜん}会訓盲{くんもう}院(現筑波{つくば}大学附属盲学校)ができた。その後、全国に盲学校が開設され、1998年(平成10)現在71の盲学校がある。  一方、19世紀初めにオーストリアのガハイスFranz von Gaheisが、盲児と弱視児を分離して教育すべきであるという主張をしてから約80年後、1884年、世界で最初と思われる弱視学級が、イギリスの眼科医マドックスErnest Edmund Maddox(1860―1933)によって開設され、強度の近視児童に対して特別に配慮した教育を行った。また1908年に、南ロンドンのバウンダリー・レー小学校に弱視学級が開かれた。その後、弱視教育のくふうや、目を使っても悪くならないという眼科医の考え方と相まって、しだいに弱視教育は発達した。  わが国では1933年(昭和8)東京・麻布{あざぶ}の南山小学校に弱視学級が開かれ、尾上円太郎訓導によって授業が始められた。しかし、本格的に弱視教育が盛んになったのは第二次世界大戦後であり、1961年(昭和36)ごろ大阪医科大学附属病院に高槻{たかつき}市桃園小学校分校として弱視学級が開設された。その後、63年大阪市本田{ほんでん}小学校に、64年には東京都葛飾{かつしか}区の住吉{すみよし}小学校に弱視学級が開設された。98年現在では全国で小学校86、中学校20、計106の弱視学級が開設されている。盲学校のなかにも弱視学級がつくられていて、重度の弱視児は盲学校で、軽度の弱視児は弱視学級で教育が行われている。 【対象】 視覚障害児とは、両眼での矯正視力0.3未満のものをいう。全盲と弱視に分かれ、全盲は両眼での視力0のもの。弱視は重度弱視と軽度弱視に分かれ、前者は近くで指の数のわかる指数盲から両眼での矯正視力0.04未満のもの、後者は0.04から0.3未満のものである。  視覚障害児の入学する学校は盲学校、普通学校の弱視学級、普通学校の普通学級に分かれる。学校教育法施行令(22条の2)では、(1)両眼での矯正視力0.1未満のもの、(2)両眼での矯正視力0.1以上、0.3未満のもの、または視力以外の視機能障害が高度のもののうち点字による教育を必要とするもの、また将来点字による教育を必要とすることになると認められるものは、盲学校で教育を受けるとされている。視力0.1以上のものは、普通学校の弱視学級か普通学級でということになる。しかし、最近ではかなり弾力的に考えられるようになり、児童・生徒にとってもっとも適するところに入学を、と考えられるようになっている。1993年(平成5)に通級制度ができ、通常の学級に籍を置きながら、特定の指導を盲学校や弱視学級で受けられるようになっている。 【教育課程】 盲学校の多くは、小学部、中学部、高等部を設置しており、視覚障害児のための一貫教育を行っている。幼稚部を置く盲学校も増えている。また、遠隔地からの通学が困難な児童のために、寄宿舎を設けている盲学校が多い。  幼稚部の教育は、幼児期に期待される諸領域の発達を促進させることをねらっているが、とくに、日常生活におけるいろいろな動作や習慣、歩行、触覚、聴覚などさまざまな感覚の活用を重視して教育がなされている。  小学部、中学部では、各教科、道徳、特別活動および総合的な学習のそれぞれの指導内容は一般の小学校、中学校のそれと基本的には同じである。このほかに、視覚障害に基づく種々の困難を改善、克服し、自立し社会参加する資質を養うための特別な指導の領域として「自立活動」(かつては「養護・訓練」といわれた)が加えられている。その内容は「健康の保持」「心理的な安定」「環境の把握」「身体の動き」「コミュニケーション」からなっている。とくに全盲の児童・生徒にとっては感覚訓練、歩行訓練が中心となる。各教科の学習においては、全盲の児童・生徒は点字の教科書を使用するが、弱視の児童・生徒は一般の教科書を使用するか、必要に応じて文字などを拡大したものを使う。  高等部には、普通科と、専門教育を主とする学科が置かれている。後者には、家庭に関する学科(家政科)、音楽に関する学科(音楽科、調律科)、理療(あんま、鍼{はり}、灸{きゅう}、マッサージ、指圧)に関する学科(理療科、保健理療科)、理学療法に関する学科(理学療法科)などがあげられる。これらの職業学科は、それぞれ社会的自立を目ざして教育を行っている。 【指導・方法・教材教具】 全盲の児童・生徒の指導は聴覚、触覚を媒介として行われるが、まず点字の読み書きの指導が重要である。また、健常児が視力を通して理解しているものを、触覚や聴覚を通して理解させる必要があり、ことばや模型による説明が必要になる。テープレコーダーやラジオなど聴覚機器の活用もたいせつである。健常児の場合には当然見て知っていることでも、全盲児の場合は知らないことが多く、また、歩行制限や環境認知の制限から経験不足になりやすいので、経験を豊かにする教育が必要になる。さらに、全盲児は視覚的指導による学習ができないので、集団指導のある部分は個別指導によらなければならない場合もおきてくる。触覚的指導は視覚的指導に比べてどうしても時間がかかるので、できるだけ学習指導を能率的に行うこともたいせつである。  なお、全盲児用の教具としては、点字の筆記用具(点字板、点字タイプライターなど)、絵や図を書くための教具などがある。そのほか学習用具として、触ってわかる盲人用のそろばん、計算機、コンパス、定規、分度器、地図、地球儀、はかり、温度計などがあるが、教材教具の開発は今後も進むことが期待される。  弱視児の指導では、残存視力の適切な利用が必要であり、各種の拡大レンズや弱視レンズを用意する必要がある。また、教科書、地図、図表など各種印刷物の拡大も必要で、電子拡大複写機や実物投影機、教材拡大映像設備(テレビ読書器)などの活用も考えられる。それと同時に、視知覚訓練によって事物の認識力を高める訓練も必要であろう。これには、機械(弱視矯正機、ムネモスコープmunemoscopeなど)を用いる方法と、日常生活や学習の場で訓練する方法(具体的事物をよく認知させたり、文章を読ませたり書かせたりなど)がある。一方、視力の保護もつねに考えなければならない問題で、学習環境は300〜500ルクスの照度を保つ必要がある。 【相談機関】 視覚障害の研究分野をもつ大学および研究機関として筑波大学、広島大学、東北大学、宮城教育大学、国立特殊教育総合研究所、東京都心身障害者福祉センターなどがあるが、ほかにも、国・公・私立の盲学校が相談に応じてくれる。→障害児教育 →自立活動 →点字 →古河太四郎 <佐藤泰正> 【本】大山信郎・佐藤泰正編『視覚障害の教育と福祉』(1978・図書文化社) ▽佐藤泰正他著『視覚聴覚障害事典』(1978・岩崎学術出版社) ▽佐藤泰正著『視覚障害学入門』(1991・学芸図書出版社)

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