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石見銀山🔗🔉

石見銀山 (いわみぎんざん) 戦国期から江戸中期にかけての代表的銀山。石見国邇摩{にま}郡大森(島根県大田{おおだ}市大森町)にあり、近世の金銀山開発の先駆をなした。14世紀初めに発見されたと伝えられるが、16世紀前半から本格化し、1533年(天文2)神谷寿禎{かみやじゅてい}が博多{はかた}から吹大工{ふきだいく}(製錬工)を伴い、銀の製錬に成功した。以後、大内{おおうち}、小笠原{おがさわら}、尼子{あまご}、毛利{もうり}氏らの銀山争奪戦が反復されたが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦い後は徳川氏が支配し、代官頭大久保石見守{いわみのかみ}長安{ながやす}の奉行{ぶぎょう}時代に盛況となり、代官陣屋の設置と銀山町が形成された。16世紀後半には一か年で数百貫以上の産出があり、長安の時代には山師安原因繁{やすはらよりしげ}の本谷の釜屋間歩{かまやまぶ}は、1602、03年ころには一か年の運上銀3600貫にも達した。しかし寛永{かんえい}年間(1624〜44)以降はしだいに衰退し、享保{きょうほう}期(1716〜36)以降には年間100貫前後となり、1837年(天保8)から57年(安政4)灰吹{はいふき}銀高は平均42貫余と激減した。江戸期の銀山の管轄は大森代官所で、18世紀以降は銅も産して、銀銅が尾道を経由して大坂へ送られた。明治以降にも稼行し、1887年(明治20)大阪の藤田組の所有となり、一時は銅、金、銀1か月3130貫を産出したが、1923年(大正12)に休山となった。 <村上 直> 【本】山根俊久著『石見銀山に関する研究』(1974・臨川書店) ▽小葉田淳著『日本鉱山史の研究』(1968・岩波書店) 【URL】[岩見銀山資料館] http://www.joho-shimane.or.jp/cc/silver/

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