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(いわ) 大きな石の塊をいう。岩はその形状からいろいろな名称をもってよばれている。舟岩、烏帽子{えぼし}岩、獅子{しし}岩、杓子{しやくし}岩などというのがある。海辺近くに同じような二つの岩が立っているのがある。夫婦{めおと}岩とか男岩女岩などと名づけられている。いちばん有名なのは伊勢{いせ}の二見浦の夫婦岩で、二つの岩に注連縄{しめなわ}が張られてあり、元旦には両岩の間から朝日が昇るという。岩石には神霊が宿るとして、これを岩神として信仰する風があった。子安神と同じく、生まれた子を連れて岩神へ参り、無事に成長することを祈る風がある。そそり立つ岩を立神{たつがみ}といってあがめ、鹿児島県屋久{やく}島では立神権現{ごんげん}と称している。  岩にはいろいろの奇瑞{きずい}伝説がつきまとっている。おらび岩、鸚鵡{おうむ}岩、呼ばわり岩などといって、この岩に向かって呼びかけると山彦{やまびこ}となって返ってくるといわれている。雨乞{あまご}いに効果のあるという岩石が各地にある。長野県南佐久郡田口村(現臼田{うすだ}町)の雨乞岩というのは天狗{てんぐ}がいるといわれ、ここで雨乞いをするという。同県東筑摩{ちくま}郡広丘{ひろおか}村(現塩尻{しおじり}市)には田川の水流の中に雨降石というのがあり、この石を動かすと雨が降るという。福島県信夫{しのぶ}郡渡利村(現福島市)八幡{はちまん}社の傍らに的場石というのがあり、那須与市{なすのよいち}が信夫山からこの石を的にして射たと伝えられている。福井県大野市には椀{わん}貸岩というのがあり、村人が客寄せなどのとき頼んでおくと椀を数だけ貸したという。しかし、これを借りて返さぬ者があって、このことは止まったという。→石 <大藤時彦>

岩井🔗🔉

岩井 (いわい) 千葉県南部、内房{うちぼう}海岸にある安房{あわ}郡富山{とみやま}町の中心地区。旧岩井町。内房の一大海水浴場があり第二次世界大戦前から臨海学校が開かれていて「子供の海」ともよばれる。民宿や貸家、保養所など、夏季の観光施設が集中。近くに岩井スポーツガーデンがありアイススケートが楽しめる。→富山(町) <山村順次> 【地】2万5000分の1地形図「保田」「那古{なこ}」

岩井🔗🔉

岩井 (いわい) 鳥取県北東端、岩美{いわみ}郡岩美町の一地区。旧岩井町。古来温泉地として知られる。『延喜式{えんぎしき}』記載の御湯{みゆ}神社があり、藤原冬久{ふゆひさ}が祈願し、神女の杖{つえ}で温泉を発見したという。史跡岩井廃寺塔跡には奈良時代の弥勒{みろく}寺五重塔の心礎がある。おもな泉源は八、泉質は含食塩芒硝{ぼうしよう}泉で放射能を含む。島崎藤村の『山陰土産{みやげ}』にも記された民謡『湯かむり歌』がある。山陰海岸国立公園に含まれ、付近には河合{かわい}谷高原スキー場がある。→岩美(町) <岩永 實> 【地】2万5000分の1地形図「浦富」「湯」

岩井(市)🔗🔉

岩井(市) (いわい) 茨城県南西部にある市。1955年(昭和30)岩井町が中川、七郷{ななごう}、神大実{かみおおみ}、飯島{いいじま}、弓馬田{ゆまた}、七重{ななえ}、長須{ながす}の7村を合併。72年市制施行。古く岩井郷{ごう}といわれ、その名を継ぐ。国道354号、主要地方道結城{ゆうき}―野田線などが通じ、利根{とね}川を挟んで対岸の千葉県関宿{せきやど}町との間に有料の下総{しもうさ}利根大橋が架かり、野田市との間には芽吹{めふき}大橋が架かる。市域外を走る関東鉄道常総線水海道{みつかいどう}・石下{いしげ}両駅からバスの便がある。利根川に沿う猿島{さしま}台地にあり、畑が広く、冬の季節風が強い。古代に長州牧{ながすまき}(長須)があり、馬にかかわる地名が多い。平将門{まさかど}が本拠を置いた地で、940年(天慶3)藤原秀郷{ひでさと}によって打ち破られ戦死した所。江戸時代は、利根川水運により経済が発達し、猿島茶と、葉タバコが有名であった。茶は宇治{うじ}の技術を入れ、葉タバコは桐ヶ作{きりがさく}種の改良により、いずれも茨城県第1位の産地であった。明治時代の鉄道計画が実らず、ようやく1958年芽吹大橋の完成で、京浜地方と結ばれ近代化を始めた。農業はレタス、夏ネギ、トマトなど野菜が多く、茶は現在も名産品。工業は段ボール、電機などが盛んとなった。96年(平成8)環境共生型を掲げる工業団地「つくばハイテクパークいわい」が造成された。平将門の伝説と親鸞{しんらん}の遺跡が多く、国王{こくおう}神社には将門の座像がある。また、近くには岩井館{やかた}跡や、将門ゆかりの延命寺がある。岩井地区の八坂総合公園は梅、桜、ボタンなど四季の植物が楽しめ、秋口には紅葉がみられる。そのほかに音楽ホールや図書館を含む総合文化施設「ベルフォーレ」も開設された(1994)。人口4万4325。 <櫻井明俊> 【地】5万分の1地形図「水海道」「野田」 【本】海老原藤吉著『岩井郷土誌』(1961・岩井町) ▽『岩井町郷土誌』(1962・岩井町) 【URL】[岩井市] http://www.net-ibaraki.ne.jp/iwai/

岩井半四郎🔗🔉

岩井半四郎 (いわいはんしろう) 歌舞伎{かぶき}俳優。屋号大和屋{やまとや}。3世までは大坂の座元を兼ねた立役{たちやく}の俳優で、4世から江戸に名跡{みょうせき}が移って女方{おんながた}の名優が名のり、現在10世まである。4世、5世がとくに有名。 【4世】 (1747―1800)人形遣い辰松{たつまつ}重三郎の子。3世の娘婿4世市川団十郎の門下で、岩井家に養子に入り、1765年(明和2)襲名。当時は初世の次男半三郎を家系に数えたので、5世を名のった。江戸で生まれ育った根生{ねおい}の女方として大成した最初の立女方{たておやま}で、従来の傾城{けいせい}役を得意とした上方下{かみがたくだ}りの3世瀬川菊之丞{きくのじょう}と拮抗{きっこう}した。女方全般から若衆方、荒事{あらごと}まで演じたが、当時の下町娘の気質{きしつ}を写した「おちゃっぴい」とよばれるお転婆{てんば}娘の役を本領とした。また下膨れの丸顔だったので「お多福の半四郎」とよばれた。 【5世】 (1776―1847)4世の子。1804年(文化1)襲名。化政{かせい}期(1804〜30)に女方の座頭{ざがしら}格として活躍した。父が先鞭{せんべん}をつけた生世話{きぜわ}物の役々を受け継ぎ、とくに悪婆{あくば}役を大成、立役の相手役でしかなかった女方の芸に新境地を開いた。4世鶴屋南北{なんぼく}は『お染の七役』を書き与えた。立役、荒事も演じ、なかでも父譲りの白井権八は半四郎の家の芸とまでいわれた。面長で受け口の美貌{びぼう}、切れ長であいきょうのあふれた目元は「眼千両{めせんりょう}」とたたえられた。晩年は俳名の杜若{とじゃく}を芸名とし、長男で粂三{くめさ}の半四郎とよばれた6世(1799―1836)、および次男で紫若{しじゃく}の半四郎とよばれた7世(1804―45)とともに江戸三座の立女方として君臨し、「大太夫{おおだゆう}」と称された。 【8世】 (1829―82)7世の子。幕末から明治にかけて東都劇壇を代表する立女方。1872年(明治5)襲名。お嬢吉三{じょうきちさ}、十六夜{いざよい}、三千歳{みちとせ}などの初演はこの人である。 【10世】 (1927― )本名仁科周芳{にしなただよし}。舞踊家花柳寿太郎の長男で、1951年(昭和26)に襲名。立役の脇役{わきやく}。 <古井戸秀夫>

岩絵の具🔗🔉

岩絵の具 (いわえのぐ) 東洋画に用いる顔料の一種。群青{ぐんじよう}、緑青{ろくしよう}、朱{しゆ}、丹{たん}、代赭{たいしや}などがある。これらは、群青石、孔雀石{くじやくいし}(緑青)のような鉱石、すなわち「岩もの」を粉末にしたもので、粒子が粗く、水に溶けないため、膠{にかわ}に混ぜて用いる。つまり膠を一種の接着剤として機能させているわけで、そのため岩絵の具には剥落{はくらく}の危険がつねに伴う。ほとんど不透明で、濃彩を施すのにきわめて有効な顔料といえる。ことにわが国で近世初期、大いに流行したいわゆる金碧障屏画{きんぺきしようへいが}は、当時濃絵{だみえ}ともよばれたが、これはその名のように、金地に濃彩を施したもので、群青、緑青、朱などの岩絵の具を大量に使ったものである。なお近代になって、金属を酸化させて化学的に人造の岩絵の具をつくることも行われるようになり、これは天然の岩絵の具より廉価で、色相にも幅があるため、よく使われている。これらの岩絵の具に対し、藍{あい}、臙脂{えんじ}のように水に溶ける植物性の顔料を水絵の具、また同じく膠に混ぜて用いるが、黄土、朱土などを泥絵の具とよぶ。→絵の具 <榊原 悟>

イワオウギ🔗🔉

イワオウギ (いわおうぎ) 【漢】岩黄耆 【学】Hedysarum vicioides Turcz. マメ科の多年草。別名タテヤマオウギ。茎は叢生{そうせい}してよく分枝し、高さ10〜80センチ。葉は奇数羽状複葉、小葉は11〜25枚、狭卵形で長さ1、2センチ。7、8月、茎上部の葉腋{ようえき}に有柄の総状花序を出し、10〜30個の蝶形{ちようけい}花をつける。花は黄白色でやや下向きに開き、もっとも内側にある一対の竜骨弁が五花弁中もっとも大きい。節果は扁平{へんぺい}で1〜4個の小節果からなり、上下の縫合線に沿い幅の不規則な翼をもつ。小節果は広楕円{こうだえん}形で、隆起する網状脈があり、熟すと節で分離して落下し、裂開しない。本州中部地方以北の高山に生え、北海道では山地から低地、ときに川原の砂礫{されき}地にも生える。朝鮮、中国東北部、シベリア東部にも分布する。 <立石庸一>

岩おこし🔗🔉

岩おこし (いわおこし) 糯{もち}米を飴{あめ}で固めた菓子で、大阪名物。かちんと歯ごたえのある感覚から岩おこしの名がついた。創製は1752年(宝暦2)、道頓堀{どうとんぼり}二ツ井戸の「津{つ}の清{せい}」から売り出された。『守貞漫稿{もりさだまんこう}』には、「岩起売{いわおこしめ}、岩は剛堅をいうなり。大坂道頓堀西に津の国屋清兵衛もっぱらこれを製し、売りて今世名物となり、各月毎日所用の黒糖大約{おおよそ}二、三百斤、黒糖を用うることほぼ海内一とす」とある。原料は、アワ粒のようにひいた糯米、水飴{みずあめ}、黒糖だが、当初は粟{あわ}を用いた。 <沢 史生>

イワガキ🔗🔉

イワガキ (いわがき) 【漢】岩牡蠣 【学】Crassostrea nippona 軟体動物門二枚貝綱イタボガキ科の二枚貝。大形のカキで、陸奥{むつ}湾以南、九州までに分布。潮間帯下の岩礁に左殻で固着する。殻長は20センチに達し、殻は厚く大形であるが、肉量は少ない。右殻は膨らみが弱く、殻表は檜皮{ひわだ}状で黄褐色の殻皮をかぶる。卵生種であり、地方によってはクツガキなどとよばれ、食用にされる。→カキ <奥谷喬司>

岩垣東園🔗🔉

岩垣東園 (いわがきとうえん) (1774―1849)江戸末期の儒学者。名は松苗、初名は維光、字{あざな}は長等。東園また謙亭と号した。京都の儒学者西尾杏庵{きようあん}の子で、のち岩垣竜渓{りようけい}の養子となった。古註{こちゆう}学派の伏見{ふしみ}宣光に儒学を学び、また国史にもよく通じた。養父竜渓の後を継いで大舎人助{おおとねりすけ}に任ぜられ、大学音博士{はかせ}にも兼ね任ぜられて、従{じゅ}五位上となった。遵古堂{じゆんこどう}で門下生の教育にあたった。その著『国史略』五巻は、建国から豊臣{とよとみ}氏の全国統一までを叙述したもので、1826年(文政9)に刊行され、その後明治初年まで広く読まれた。同書を国史教科書として用いた藩校も多かった。詩文もよくし、『東園百絶』『続東園百絶』がそれぞれ27年と28年に刊行されている。 <玉懸博之>

岩陰遺跡🔗🔉

岩陰遺跡 (いわかげいせき) まっすぐに切り立った断崖{だんがい}直下のわずかな広さのくぼみを、天然の住居として利用した古代遺跡の一つ。自然の侵食作用によって岩壁につくられた大小のくぼみは、岩陰や洞窟{どうくつ}となり古代人によって雨露をしのぐ生活の場として積極的に利用された。一般的に、比較的浅い外形をもち、なだらかな傾斜で岩肌が迫るものを岩陰遺跡とよび、規模が大きく奥行が深いものは、岩びさしが明瞭{めいりょう}となるため洞窟遺跡とよんでいる。この類別はあくまでも相対的かつ便宜的なものであるが、両者は開地遺跡に比べて、夏は涼しく冬は温かく温度変化の少ない利点があるため、非常に住み心地がよい場所であったが、同時に湿気をもつ欠点もあった。しかし、多くは北側が岩壁で覆われ北風を防ぎ、南側は眺望の開けた太陽の満喫できる場所を選定する。その遺跡は、生活用具としての土器、石器のみならず、ときには貝塚さえ残している。またまれには人骨の発見もある。生活址{し}としての役割のみならず、墓地としても使われた。特例として祭祀{さいし}遺物を出土する場合もある。生活空間が限定されているため、同じ場所に何回もの生活記録をとどめ、文化層として断続的に堆積{たいせき}し、考古学上の編年研究に役だっている。旧石器、縄文、弥生{やよい}、古墳時代にみられ、重複した遺跡もある。日本のみならずヨーロッパ、アジア、アフリカにも、岩壁があり条件を満たす場所には分布する。代表的なものとして愛媛県上浮穴{かみうけな}郡美川{みかわ}村の上黒岩岩陰遺跡、長崎県佐世保市下本山町の下本山岩陰遺跡がある。 <麻生 優>

岩ヶ崎🔗🔉

岩ヶ崎 (いわがさき) 宮城県北部、栗原{くりはら}郡栗駒{くりこま}町の中心地区。旧岩ヶ崎町。1694年(元禄7)以後仙台藩の家臣中村日向守{ひゆうがのかみ}の居城であった。また谷口集落でもあり、市場町として、とくに馬市が盛んであった。→栗駒(町)

イワガニ🔗🔉

イワガニ (いわがに) 【漢】岩蟹 【学】Pachygrapsus crassipes lined shore crab 節足動物門甲殻綱十脚{じっきゃく}目イワガニ科に属するカニ。地方によってはアブラガニともよばれる。北海道南部から九州、朝鮮半島沿岸の岩礁にごく普通にみられるが、アメリカ合衆国太平洋岸のオレゴン州からカリフォルニア半島にかけても広く分布している。この分布状態は甲殻類の分布型としては特異で、どちらかが原産地で、人為的に他方に運ばれたものと考えられる。甲幅約4センチで、前方にやや広い四角形。甲の側縁から内方に斜めに走る条{すじ}が多数あり、眼窩{がんか}外歯の後方に深い切れ込みが一つある。額{がく}は幅が広くて板状。甲は緑褐色で、歩脚は暗褐色。岩の割れ目やくぼみに入り込んでいるが、干潮時には岩の表面を歩き回って餌{えさ}をあさる。藻類だけでなく、死んだ魚貝類なども食べ、またフナムシなども捕食する。かつては食用とした地方もあるが、近年では釣りの餌{えさ}として利用されることが多い。サンゴ礁原には甲幅5ミリほどのヒメイワガニP. minutusが多い。 <武田正倫>

岩下壮一🔗🔉

岩下壮一 (いわしたそういち) (1889―1940)カトリック司祭。東京に生まれる。東京帝国大学でケーベル博士の下にギリシア哲学、中世哲学の研究を志し、ヨーロッパに留学するが、留学中、聖職につくことを決意、司祭として帰国する。執筆、学生指導などによる布教活動のほか、ハンセン病の神山復生病院で院長も務めた。カトリシズムにおいてキリスト教を見直す神学的宗教論文は『信仰の遺産』に、中世哲学思想において哲学的世界観の問題を見直す精神史的哲学論文は『中世哲学思想史研究』に収められている。 <大谷啓治>

イワシモツケ🔗🔉

イワシモツケ (いわしもつけ) 【漢】岩下野 【学】Spiraea nipponica Maxim. バラ科の落葉低木。高さ0.5〜1メートル、まれに2メートル近いものもある。枝はよく分枝し、稜角{りようかく}がある。葉は卵状円形ないし楕円{だえん}形、長さ1〜4.5センチ、先端がわずかに切れ込むほかは全縁、裏面はやや白色を帯びる。5〜7月、新枝の先に径約8ミリの白色の五弁花を散房状につける。果実は袋果{たいか}。日本固有種で、中部地方から東北地方の亜高山帯から高山帯下部の岩場などに生え、蛇紋岩地域や石灰岩地域でよくみられる。葉形は変化に富み、倒披針{ひしん}形のものを変種ナガバイワシモツケとして区別することがある。庭によく植栽される変種トサシモツケは、四国の川岸岩上に野生し、葉は非常に細長い。 <鳴橋直弘>

イワタバコ🔗🔉

イワタバコ (いわたばこ) 【漢】岩煙草 【学】Conandron ramondioides Sieb. et Zucc. イワタバコ科の多年草。葉は根際につき、楕円{だえん}状卵形で基部は翼のある柄となり、表面は光沢があってしわがよる。冬は葉が丸まって球となり越冬する。花茎は長さ10〜30センチ。6〜8月、散形花序をつくり紅紫色の花を横向きに開く。花冠は深く五裂し、裂片は反り返る。丘陵帯から山地帯の日陰や湿った岩壁に生え、福島県以西の本州、四国、九州に分布する。名は、岩場に生え、葉がタバコの葉に似るのでいう。  関東地方以西の本州の太平洋側には、花茎、花序、葉の裏面に毛のある変種があり、ケイワタバコという。なお、イワタバコ属は花冠は放射相称、雄しべは5本あり、アジアに2種分布する。 <高橋秀男>

イワツバメ🔗🔉

イワツバメ (いわつばめ) 【漢】岩燕 【学】Delichon urbica house martin 鳥綱スズメ目ツバメ科の鳥。イワツバメ属3種中の一種。全長約14.5センチ。背面は黒色で腰が白く、尾羽は短く、切れ込みは浅い。下面は白色、のどと上胸およびわきは汚白{おはく}色を呈する。ツバメより小さく、足は白毛で覆われる。日本には夏鳥として渡来し、山地の岩壁、海岸の崖洞{がいどう}、河川の橋梁{きようりよう}、あるいは人家の軒などに、泥を固めた壺{つぼ}状の巣を集団でつくる。冬季、日本各地に滞留するものも少なくない。ユーラシア大陸一帯に繁殖地があり、冬季はアフリカ、インド、東南アジアに分布する。 <坂根 干>

岩永裕吉🔗🔉

岩永裕吉 (いわながゆうきち) (1883―1939)ニュース通信社の経営者。東京生まれ。作家長与善郎{ながよよしろう}の兄。1909年(明治42)京都帝国大学卒業。一時満鉄に勤めるが、20年(大正9)『岩永通信』を発刊以来通信業に関心をもち、21年国際通信社に入社、経営を助ける。日本の通信社の独立を念願し、26年国際通信社を解散して日本新聞聯合{れんごう}社を設立した。以後、世界の有力通信社と対等契約を結び、通信自主権の確立に尽力した。36年(昭和11)に初の国家代表通信社、同盟通信社をつくりあげた。 <春原昭彦>

イワノリ🔗🔉

イワノリ (いわのり) 【漢】岩海苔 紅藻植物、ウシケノリ科アマノリ属の海藻のなかで、岩礁上に自生するものの総称。ウシケノリ科の海藻は一般に紅紫色で、きわめて柔らかい薄膜葉状形をなす。顕微鏡で見ると、星状形の色素体をもつ体細胞で構成され、このような細胞の一層ないしは二層だけでつくられる薄膜葉体をもつ仲間をアマノリ属Porphyraとよぶ。この仲間にはアサクサノリのように内湾で養殖される種もあるが、大多数の種は外海の岩礁上に生える野生種である。これらを総称してイワノリ、クロノリ、アマノリなどとよび、その製品は岩海苔または黒海苔、甘海苔などの名で、各地の名産、土産物として販売されている。分類学的にみると、産地により、また同一地区でも季節によって種が異なるが、本州、四国、九州などの太平洋岸ではマルバアマノリ、オニアマノリが優占する。日本海沿岸ではウップルイノリ(十六島海苔)とクロノリ、北海道北東部沿岸ではタサとチシマクロノリ、九州南部と南西諸島ではツクシアマノリがそれぞれ優占する。イワノリ類は冬から春にかけて繁茂する一年生藻であるが、北海道北東部のような極寒海域では、流氷が溶けたあとに現れ、夏季に繁茂するというように、地区により生育期にも相違がみられる。 【食品利用】 イワノリは外海の荒波にもまれて育ったノリであるから、浅草海苔のような干しノリとして食べる場合には、養殖ノリに比べて硬く、歯切れが悪いという傾向がある反面、色沢がよく、香味が強いという利点をもつ。佃煮{つくだに}に利用する場合、養殖ノリではあまりに柔らかすぎるので、市販の海苔佃煮ではヒトエグサ(緑藻植物)を原料にするのが一般的である。しかし、所によっては、名産「岩海苔佃煮」という名をつけて売られているが、その風味は普通の市販品とはひと味違うところがある。日本の諸地方では昔から紙状の抄製品にしているが、アイルランド、アイスランド、北欧などでは、採集物を圧縮して団塊状にして保蔵し、必要に応じて一部をちぎりとって、スープの実にしたり、油炒{いた}めで食することが多い。イワノリの栄養価は養殖のアサクサノリと変わらない。→アサクサノリ <新崎盛敏>

イワハタザオ🔗🔉

イワハタザオ (いわはたざお) 【漢】岩旗竿 【学】Arabis serrata Fr. et Sav. var. japonica (H. Boiss.) ohwi アブラナ科の多年草。茎は叢生{そうせい}し高さ10〜35センチ、根際の葉は倒卵形で、粗い鋸歯{きょし}と星状毛があり、基部はしだいに細まる。花期は5〜7月、花弁は白く狭倒卵形。果実は開出し、種子は楕円{だえん}形で長さ1.5〜2センチ、上部に狭翼がある。火山の砂礫{されき}地や蛇紋岩、石灰岩地帯、海岸などに生え、北海道から樺太{からふと}(サハリン)、済州島まで分布する。異変が多く、基本種はフジハタザオといい、富士山の砂礫地に生育し、中部地方のものをイワハタザオ、四国、九州のものをシコクハタザオ、北海道、樺太のものをエゾノイワハタザオという。 <小林純子>

イワヒバリ🔗🔉

イワヒバリ (いわひばり) 【漢】岩? alpine accenter 広義には鳥綱スズメ目イワヒバリ科に属する鳥の総称で、狭義にはそのうちの一種をさす。同科Prunellidaeは世界で13種が知られ、一般にスズメ類Passer sp.に似ているが、体はやや大きく、嘴{くちばし}は細い。地上で採餌{さいじ}し、夏季は虫類、冬季は木や草の種子、実を食べる。山地の崖{がけ}地の割れ目や藪{やぶ}で繁殖する。生息地はユーラシアの山岳地帯の上部で、ヒマラヤイワヒバリPrunella himalayanaは海抜4000メートル以上の所でも繁殖している。  種としてのイワヒバリPrunella collarisは全長18センチ。頭、背は黒褐色、腰は赤褐色。翼は黒っぽく、尾も黒っぽいが先端部は赤褐色である。腹は濃い栗褐色{くりかつしよく}地に黄褐色のまだら模様がある。雌雄同形同色。ヨーロッパから北アフリカ、コーカサス、イラン、ヒマラヤ、中央アジア、台湾、日本などに分布し、山岳地の岩山に生息している。わが国では本州中部の高山で山頂近くの岩場に生息し、繁殖もする。冬季には標高1000メートル以下の山地の岩や崖地に生息する。6〜8月ごろ高山帯の岩のすきまに枯れ草、茎などで巣をつくり、青色の卵を3、4個産む。昆虫類や草の種子を食べ、山小屋のごみ捨て場などにもよくくる。美声でさえずり、人間を恐れないので登山者の目にもよく触れる。 <柳澤紀夫>

イワボタン🔗🔉

イワボタン (いわぼたん) 【漢】岩牡丹 【学】Chrysosplenium macrostemon Maxim. ユキノシタ科の小草本。全体ほとんど無毛で、葉は対生する。早春に淡黄緑色の花を開き、萼{がく}裂片は4枚で斜開し、8本の雄しべが花外に突き出る。花弁はない。沢沿いのやや暗い湿った所に生え、関東地方以西の本州の太平洋側、四国、九州に分布する。 <若林三千男>

岩間(町)🔗🔉

岩間(町) (いわま) 茨城県中部、西茨城郡にある町。1923年(大正12)町制施行。54年(昭和29)南川根村と合併。JR常磐{じょうばん}線、国道355号が通じる。常磐自動車道と岩間インターチェンジは84年3月開通。西部は筑波{つくば}山地、東部は常陸{ひたち}台地。養豚と果樹栽培が盛んで山麓{さんろく}暖地利用のカキ、クリ、ウメ、ナシのほか、キリ材、竹箒{たけぼうき}は特産である。吾国愛宕{わがくにあたご}県立自然公園に含まれ、ハイキングコースがある。愛宕山は桜の名所で、愛宕神社裏にある飯綱{いづな}神社祭礼は、悪口をいい放題できる悪態{あくたい}祭で有名。下郷の六所神社例祭(11月2〜4日)は山車{だし}が繰り出しにぎわう。合気道の創始者である植芝盛平{うえしばもりへい}が、この地で修行をして合気道を誕生させたことにより、合気道発祥の地として知られる。吉岡には、日本で唯一の合気道の神社である合気神社があり、合気道が盛ん。安居{やすい}の塙家{はなわけ}住宅は国指定重要文化財。人口1万6615。 <櫻井明俊> 【地】2万5000分の1地形図「岩間」「加波山」 【URL】[岩間町] http://www.net-ibaraki.ne.jp/iwamabe/

岩間温泉🔗🔉

岩間温泉 (いわまおんせん) 石川県石川郡尾口{おぐち}村尾添{おぞう}地区にある温泉。白山北麓{はくさんほくろく}にあり、露天風呂{ぶろ}と無人ヒュッテしかない温泉であるが、森林に囲まれた野趣あふれる山の湯で、元湯となっている。泉質はナトリウム‐塩化物泉。泉源は古くから知られていたが、1920年(大正9)の尾添の大火後、復興のため、この温泉を開発し、これを経由する白山登山路を開いた。岩の間より湧{わ}き出ることから当時の郡長が24年岩間温泉と名づけた。付近の谷底に石灰華よりなる岩間の噴泉塔群があり、特別天然記念物に指定されている。湯元は交通不便なため、下方に、54年(昭和29)引き湯して新岩間温泉を、76年さらに下方に白山一里野{いちりの}温泉(同じく元湯からの引き湯)を開設した。ここにはスキー場、テニスコートなどもあり、年間利用されている。北陸鉄道白山下駅からバスの便がある。 <矢ヶ崎孝雄> 【地】2万5000分の1地形図「新岩間温泉」

岩間観音🔗🔉

岩間観音 (いわまかんのん) →本山寺

岩間寺🔗🔉

岩間寺 (いわまでら) 滋賀県大津市石山内畑{いしやまうちはた}町にある真言宗醍醐{だいご}派の寺。岩間山正法寺{しようぼうじ}と号し、通称を岩間寺という。西国三十三所第12番札所。寺伝によると、722年(養老6)元正{げんしよう}天皇の病気平癒を祈願した泰澄{たいちよう}が、勅によって七堂伽藍{がらん}を建立したのが創建という。往時は熊野{くまの}、吉野に次ぎ第三の霊場として尊崇された。本尊の千手観音{せんじゆかんのん}像は「雷除{よ}け観音」「汗かき観音」といわれる。由来によると、落雷による伽藍焼失が相次ぎ、その罪を責められた雷神が、「仏門に入りたく寺を訪ね、雷火のために迷惑をかけたが、今後はこの寺への参詣{さんけい}者に雷除けをする」といって岩を爪{つめ}でかいて水を出したのによるという。地蔵菩薩{じぞうぼさつ}像、不動明王像、矜迦羅{こんがら}・制?迦{せいたか}童子像は国の重要文化財。芭蕉{ばしょう}はこの奥にあった幻住庵{げんじゆうあん}に滞在「先{まづ}たのむ椎{しひ}の木も有夏木立」の句を詠んだ。 <中山清田>

岩屋🔗🔉

岩屋 (いわや) 兵庫県南部、津名{つな}郡淡路{あわじ}町の中心集落。旧岩屋町。淡路島北端の明石{あかし}海峡に面し、明石市とフェリー連絡がある。『延喜式{えんぎしき}』に「石屋」でみえ、岩窟{がんくつ}を意味し、平安時代から瀬戸内海の重要な海港であった。→淡路(町)

岩屋寺🔗🔉

岩屋寺 (いわやじ) 京都市山科{やましな}区西野山桜ノ馬場町にある曹洞{そうとう}宗の寺。智証{ちしよう}大師(円珍{えんちん})の作と伝えられる本尊の不動明王は、浅野家の遺臣大石良雄{よしお}が山科に隠棲{いんせい}していたときの念持仏であった。境内には47人の赤穂{あこう}義士の木像を安置する木像堂、大石良雄植髪之墓がある。寺宝として大石の手跡が残されており、義士ゆかりの寺として訪れる人が多い。 <菅沼 晃>

岩屋ダム🔗🔉

岩屋ダム (いわやだむ) 岐阜県益田{ました}郡金山{かなやま}町にあるダム。飛騨{ひだ}川支流馬瀬{まぜ}川に建設された多目的ダムで、1976年(昭和51)に完成。有効貯水量1.5億立方メートル、ロックフィルダムの高さ127.5メートル、堤頂幅10メートル。発電、洪水調節、ならびに木曽{きそ}川用水事業の水源としての水道用水、工業用水および灌漑{かんがい}用水を供給することを目的としている。 <上島正徳> 【地】2万5000分の1地形図「下呂{げろ}」

岩屋の草子🔗🔉

岩屋の草子 (いわやのそうし) 室町期の物語。作者不詳。継子{ままこ}物恋愛譚{たん}で『対{たい}の屋姫{やひめ}』とも称す。清和{せいわ}天皇のころ、堀河中納言{ちゅうなごん}の先妻の姫が四位少将と結婚するが、後妻の奸策{かんさく}で海中の岩に置き去りにされ、四位少将は出家遁世{とんせい}してしまう。明石{あかし}の海士{あま}夫婦に助けられた姫は、二位中将にみいだされて都に伴われ、中将の母や姉妹の翻弄{ほんろう}にもめげず妻となる。姫はわが子の袴着{はかまぎ}の縁で父に再会でき、父は後妻を離縁、後妻は狂死する。『風葉和歌集』に歌が残る散佚{さんいつ}物語『いはや』の改作か否かで論争がある。『ふせやの物語』『秋月物語』『美人くらべ』などと近似する当時流行の作品。 <秋谷 治> 【本】松本隆信編『新潮日本古典集成 御伽草子集』(1980・新潮社)

岩塩🔗🔉

岩塩 (がんえん) 鉱物名として用いる場合と、これを主成分とする鉱床として用いる場合とがある。鉱物としての岩塩は通常細粒結晶の集合体をなし、これが有利に採掘可能であれば岩塩鉱床となる。 【鉱床】 岩塩鉱床の成因としては、(1)乾燥地帯において砂州などによって一時的に外海から隔てられた内海で海水が蒸発し、岩塩が晶出したところへ海水が浸入し塩分を供給するということを繰り返して鉱床が生成されたと考える砂州説。(2)海洋の一部が地殻変動などの原因によってこれと絶縁され、陸中に裏海{りかい}のような大規模な塩湖を生じた場合、乾燥地帯であれば水の蒸発量が雨水の流入量を越え、塩湖が濃縮して最終的に岩塩鉱床が生成されたとする海洋絶縁説がある。  岩塩層の厚さは数センチメートルから100メートルに及び、一般に数層、ときに30層以上が重なることがある。岩塩層はしばしば硬石膏{せっこう}層、カリ塩層を伴うが、下位から硬石膏、岩塩、カリ塩層の順に重なるのが普通で、これはこの順に水に対する溶解度が大きくなることが原因であると考えられる。地下深くに存在していた岩塩層が上部に堆積{たいせき}した岩石の重力による圧力で、下から上へ絞り出されるように上方の地層を押し上げながら移動貫入し(このような現象をダイヤピリズムという)、ドーム状の岩塩鉱床を形成することがあり、この岩塩ドームも採掘の対象となっている。岩塩ドームはしばしば石油、天然ガスを胚胎{はいたい}する地質構造をつくるので、大きな関心がもたれている。アメリカ、中国、旧ソ連地域、カナダ、ドイツ、フランス、インド、ブラジル、アルゼンチンなどに岩塩の大鉱床がある。 <鞠子 正> 【鉱物】 蒸発岩の構成鉱物として産し、しばしば巨大な鉱床を形成する。時代は古生代から新生代完新世(現世)まであり、時代の新しいものほど鉱物組合せは単純化する傾向にある。共生鉱物として普通のものは、カリ岩塩、石膏{せっこう}、硬石膏などのほか、カリ、マグネシウムなどの硫酸塩、カーナル石をはじめ可溶性塩類鉱物が多い。また火山昇華物として、あるいは各種熱水鉱脈鉱床を構成する石英の包有物として存在し、含塩素二次鉱物の塩素の起源となることもある。岩塩層は地層の変形に際しては、他の岩石より変形移動しやすく、ドーム状の形態をとる(いわゆるダイアピール構造)。放射能などで青色に着色するが、熱すると消滅する。カリ岩塩は一見酷似するが、ガラスに挟んで圧迫すると流動する(岩塩は粉末化する)。数少ない食用となる鉱物の一つである。  岩塩は典型的なものは日本では産しないが、千葉県館山{たてやま}付近で、堆積岩の表面に冬の乾燥期に析出するものは量的にかなり多い。外国ではドイツのスタッスフルトをはじめロシア連邦のソリカムスク、スペインなどの堆積性のもの、カスピ海沿岸、北アフリカ、アメリカ西部などいわゆる塩湖に伴うもの、また、イタリアのベスビオ火山のように火山昇華物として産するものなどが有名である。→塩 <加藤 昭>

岩塩型構造🔗🔉

岩塩型構造 (がんえんがたこうぞう) →塩化ナトリウム型構造

岩塩ドーム🔗🔉

岩塩ドーム (がんえんどーむ) 地下の岩塩層が上部の堆積{たいせき}層に貫入してつくられたドーム構造。岩塩ドームは地下5000メートルから1万メートル以上の深さから上昇したものもあり、ドームの直径は1キロメートルから、なかには2キロメートルを超すものがある。地下深所のような封圧の高いところで著しく可塑性を増した岩塩層が、周りの岩石よりも密度が小さいこともあって上位層を持ち上げ、ついには貫入することによって、岩塩ドームは形成される。岩塩ドームは、岩塩、カリウムなどの鉱床として採掘されるだけでなく、石油の貯留岩をなすなど経済的価値が大きい。 <伊藤谷生>

岩亀楼🔗🔉

岩亀楼 (がんきろう) 横浜にあった遊女屋。横浜遊廓{ゆうかく}開設の出願人の品川遊廓岩槻屋{いわつきや}佐吉が、1859年(安政6)の同所開業と同時に出店した。大店{おおみせ}として神風楼などとともに著名で、明治時代には三階建ての上に時計台を設けた。幕末に、抱{かか}え遊女の喜遊{きゆう}が外国人の客を拒否して自殺したという伝説があって有名だが、事実は確認できず、攘夷{じょうい}家の作り話ともいわれている。 <原島陽一>

岩株🔗🔉

岩株 (がんしゅ) 小形深成岩体の貫入形態の一種で、バソリスbatholith(底盤)の小形のもの(地表露出面積100平方キロメートル以下)。大部分は火成岩起源。地表面で円形に近いものはボスbossとよぶことがある。 <矢島敏彦>

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