大溝🔗⭐🔉振
大溝
(おおみぞ)
滋賀県中西部、高島郡高島町の中心地区。旧大溝町。古くは勝野{かつの}とよばれた。西近江{おうみ}路の要地で、『倭名鈔{わみょうしょう}』の三尾{みお}郷、『延喜式{えんぎしき}』の勝野津にあたる。鴨{かも}川の形成した沖積平野南端に立地、中世、高島氏が築城して大溝城とし、1619年(元和5)以後は分部{わけべ}氏の大溝藩2万石の城下町であった。港を有し、木綿や高島硯{すずり}などの物資流通の結節点をなした。→高島(町) <高橋誠一>
【地】2万5000分の1地形図「勝野」
大みそか🔗⭐🔉振
大みそか
(おおみそか)
大晦日と書く。年越{としこし}、大つごもり、大年{おおとし}などともいい、1年の最後の日。今日では、商家でも一般家庭でも、新年を迎える準備に忙しいが、本来、1日が夕方から始まるという思想から考えると、この日の夕方からは、新年を意味するものであった。大みそかの夜は正式な食事をするものだといい、これをオセチとよんでいる地方もある。セチは正式な食事のことであるから、この夜の食事が1年中でもっとも重要な食事とみなされていたのである。「年越そばは他所{よそ}で食べるな」とか「年越をともにしない者はあてにならない」といわれるのも、新年を迎える、すなわち新しい生命力を身につけるとき、一族一家がともにいなければならぬと信じていたからである。東北地方では、この夜ミタマノメシといって握り飯12個(閏{うるう}年は13個)に箸{はし}を立てて箕{み}に入れ、仏壇や神棚の下に供えた。これは先祖祭りを意味するもので、大みそかが新しい年を迎える日であるとともに、祖霊祭であったことを示している。「大年の客」といって、昔話のなかに、この夜訪れてくる人々のいる話があるが、これも新しい年をもたらしてくれる来訪神の存在を伝えるもので、この夜が他のみそかと異なり、1年の境という意識だったことを表している。全国の寺院ではこの夜、除夜の鐘といって108回鐘をつき、百八つの煩悩{ぼんのう}を覚醒{かくせい}するためといわれているが、一般家庭ではこの鐘を新年を迎える合図にしている。長崎県五島では鶏の鳴き声を年の境としたというが、寺院の鐘より古風な習俗であろう。 <鎌田久子>
【西洋】
敬虔{けいけん}なクリスマスに対し、欧米各国では大みそかの夜は、にぎやかなダンス・パーティーが行われる。パリやベルリンでは、12時の鐘とともにだれとキスしてもよい。また、静かにこの日を過ごす所も多い。オーストリアやスイスの一部では、頭にヤドリギの冠をのせた醜い者が、若者や娘に乱暴なキスをする。この仮装人物は12時になると、モミの枝で家の外に追い出される。一般には古い年の悪霊は、鉄砲、ホルンとか、花火、爆竹といった大きい音で追い出される。この日は年迎えも行われ、いまでも南ドイツなどでは、若者や子供が家々を回って歌い、新年を迎える。ポーランドでは夕食に鯉{こい}を食べ、うろこを財布に入れて新年の幸運を願う。このように、この日の食べ物や飲み物が決まっている地方もある。また、タマネギを12個に切り、その湿りぐあいによって新年の天候を占ったり、粥{かゆ}を皿に移すときの形によって結婚の運勢を占う所もある。 <飯豊道男>
【本】植田重雄著『ヨーロッパ歳時記』(岩波新書) ▽谷口幸男・遠藤紀勝著『仮面と祝祭』(1982・三省堂)
日本大百科 ページ 8670。