ヤナーチェク
(やなーちぇく)
Leo? Jan??ek
(1854―1928)チェコスロバキアの作曲家。7月3日モラビア地方のフクバルディに生まれる。11歳で子だくさんの生家を出てモラビアの中心都市ブルノの修道院の聖歌隊に入り、1872年同地の師範学校を卒業。その後プラハのオルガン学校、ライプツィヒ音楽院、ウィーン音楽院に学ぶ。81年ブルノにオルガン学校を創設して校長になったのをはじめ、81〜88年フィルハーモニー協会の指揮者を務め、1919年新設のプラハ音楽院ブルノ分校で作曲を教えるなど、モラビア地方の音楽文化発展に貢献。早くから創作活動を行っていたが、作曲家として名声が高まったのは04年のオペラ『イエヌーファ』初演以降で、16年のプラハ初演とその2年後のウィーン初演でようやく国際的に知られるようになった。それからの晩年10年間が創作の最盛期で、オペラ『カーチャ・カバノバー』(1919〜21)、『りこうな女狐{めぎつね}の物語』(1921〜23)など大作を次々に生み出したのち、28年8月12日オストラバで没した。
作風としては、若いころから強い関心を抱いていたモラビア民謡の研究成果に基づいて、民族的要素を単に異国趣味的装飾としてではなく、西欧近代音楽の語法と融合し発展させた点で、きわめて独創的なものをもっている。作品はほとんどすべての分野にわたり、民謡編曲も多い。重要なのは九つのオペラで、話しことばの抑揚を本格的に研究して独自の様式をつくりあげており、前記の三作のほか最晩年の『死の家より』(1927〜28)が優れている。宗教作品のなかでは古代スラブ語のテキストによる『グラゴル・ミサ』(1926)が有名。器楽曲ではスメタナやドボルザークの影響に加えて後年印象主義的傾向がみられるが、とくに管弦楽曲『タラス・ブーリバ』(1915〜18)と『シンフォニエッタ』(1926)が全作品中もっとも親しまれている。 <益山典子>
【本】I・ホースブルグ著、和田旦・加藤弘和訳『ヤナーチェク――人と作品』(1986・泰流社)
日本大百科 ページ 64581 での【ヤナーチェク】単語。