複数辞典一括検索+

タイ🔗🔉

タイ (たい) 【漢】鯛 一般的には硬骨魚綱スズキ目タイ科魚類の総称。狭義にタイといえばマダイをさすが、近縁種のチダイと混称している所も多く、またキダイやクロダイなどを含めることもある。広義のタイ型魚類はイトヨリダイ科、タイ科、フエフキダイ科の3科からなるが、この項ではタイ科について記述する。なお、タイ類の英名は、赤色のタイはred sea bream、暗灰色のタイはporgyである。 【タイ科の分類】 タイ科魚類は形態的な特徴によって、キダイ、ヨーロッパダイ、マダイ、アフリカダイ、ヘダイおよびアフリカチヌの6亜科に分けられる。前の3亜科は体色が赤く、後の3亜科の魚は多くは暗灰色である。日本、東南アジアとオーストラリアにはキダイ、マダイ、ヘダイの3亜科の魚が分布するが、地中海とアフリカ周辺の海域には6亜科のすべてが分布し、アメリカ新大陸の大西洋岸にマダイ、ヘダイ、アフリカチヌの3亜科の魚が生息する。  タイ科魚類のおもな属名は次のとおりである。キダイ亜科(キダイ属、セナガキダイ属、オオメレンコ属、ナガレンコ属)、ヨーロッパダイ亜科(ヨーロッパダイ属、ヤリダイ属)、マダイ亜科(マダイ属、チダイ属、タイワンダイ属、キシマダイ属、モモダイ属)、アフリカダイ亜科(アフリカダイ属、ヒラダイ属、メジナモドキ属、オグロダイ属)、ヘダイ亜科(ヘダイ属、クロダイ属、アメリカギンダイ属、スカップ属)、アフリカチヌ亜科(シマチヌ属、アフリカチヌ属、アメリカチヌ属、ピンフィッシュ属)。 【形態】 タイ科魚類は楕円{だえん}形で背が高く、側扁{そくへん}した体に、二叉{にさ}した強い尾をもつ典型的なタイ形が特徴である。魚類学的には、眼前骨と第一眼下骨が同形同大、幽門垂数は4本、副蝶形骨下縁{ふくちょうけいこっかえん}の突起が2個、大部分の魚の顎骨{がっこつ}に門歯や臼歯{きゅうし}が発達している、などの形質によって定義づけられている。タイ科の魚は一般に吻{ふん}は短いが、眼下幅は広く、強いあごをもつ。両顎{りょうがく}にはキダイ亜科では強大な円錐歯{えんすいし}を、アフリカダイ亜科では円錐歯や門歯をもつが、ほかの4科の魚はすべて臼歯をもつ。臼歯の列は、マダイ亜科、ヨーロッパダイ亜科で2列、ヘダイ亜科で3列以上である。背びれは1基で10棘{きょく}以上、臀{しり}びれは3棘、腹びれは胸位で1棘5軟条。体は大部分が櫛鱗{しつりん}で覆われるが、亜科により鱗{うろこ}の形が異なる。脊椎骨{せきついこつ}は24個。胃はV字またはY字形でやや大きく、腸は一般に短い。 【生態】 タイ科魚類のうち、体色の赤い魚は沿岸や大陸棚の岩礁や泥土と砂礫{されき}の中間地帯を好み、水深50〜200メートルの底層にすむ。一方、体色の黒いタイは河口域や内湾など50メートル以浅の岩礁と砂泥質の所を好む。やや貪食{どんしょく}な肉食性の魚で、底生の多毛類、甲殻類、軟体類、棘皮{きょくひ}類、魚類などを好んで食べる。産卵期は、マダイ、クロダイ、ヘダイなどは春季で、チダイ、キチヌなどは秋季である。卵は油球1個をもつ球形の透明な分離浮性卵で、卵径は0.8〜1.2ミリである。20度Cで2日前後で孵化{ふか}する。種類により弱い群集性があり、わずかながら産卵その他による季節的移動を行う。 【雌雄同体と性転換】 体が暗灰色の3亜科のタイ類には、すべての魚が雌雄同体の時期を経たのちに雌雄のいずれかに分化する性転換の現象がある。クロダイとキチヌでは、全長10センチ以下の魚は原始的性細胞をもつが10〜14センチの魚には精原細胞が認められ、14〜25センチごろは典型的な両性巣をもち、外側に精巣が、内側に卵巣がある。20〜25センチ以上ではほとんど雌に分化する。雌雄同体の個体は精液を出し雄の機能があるが、卵巣はけっして熟さない。すなわち、クロダイ類は小さいときはすべて雄で、大きくなるとほとんど雌になるわけである。キダイにも高年魚で約半数の雌雄同体が現れたり、養殖マダイには少数ながら両性巣が出現したとの報告がある。 【日本のタイ類】 日本には、キダイ、ホシレンコ、マダイ、チダイ、ヒレコダイ、タイワンダイ、クロダイ、キチヌ、ミナミクロダイ、ナンヨウチヌ、ヘダイの11種が知られている。いずれも白身のしまった肉質で美味のため、需要は多いが漁獲量は漸減している。1962年(昭和37)ごろからゴウシュウマダイ、アサヒダイ(商品名サクラダイ)など外国のタイ類が多量に日本の市場に入荷し、利用されている。近年、日本沿岸のタイ資源の減少に対し、各地の栽培漁業センターにおいてマダイやクロダイの種苗を生産して、沿岸に放流したり養殖の種苗としている。 <赤崎正人> 【釣り】 各地でさまざまな釣り方、仕掛け、餌{えさ}がくふうされ使われている。仕掛けは、1本鉤{ばり}、この1本鉤に小さい孫鉤をつけたもの、枝鉤を2本または3本つけた胴づき、片天ビンからハリスを伸ばした二本鉤が基本的なものになっている。  餌はクルマエビの小形(サイマキ)や、船の網漁でとる赤い色に近いサルエビ、小さくてやや黒っぽいエビ、淡水の池や沼でとれるモエビなどエビ類を主体に、南極産のオキアミが1980年(昭和55)ごろから各地で使われるようになった。多毛類ではイワイソメ(西日本ではマムシという)、タイムシ(一部の地方でアカイソメという)、フクロイソメ(西日本ではイチヨセという)などもタイ餌となり、小さなミミイカやサンマの切り身、生きたイカや小魚のコウナゴも使われる。また、ごく薄いゴムで橙{だいだい}色に近いものを細く短冊に切って鉤にかけて釣る地方もある。このような各種の餌は季節によって多少違ってくるが、一年中効果を発揮するのはやはり生きたエビで、ついでオキアミであろう。  釣り方のポイントは、棚とよばれるタイの泳層を早くつかむこと。とくに春はまだ底潮が冷たいので、暖かい潮を求めて海底から上を棚に求めがちであり、逆に秋は底潮が暖まっているので棚を底に求めがちである。このようなことから「春のタイは宙層を釣り、秋は底を釣れ」ともいわれる。ただし、多人数が乗った乗合船で、寄せ餌を使うタイ釣りでは、潮の流れの緩いときだと、寄せ餌の効果からタイの棚はかなり上層にあがることもある。鉤掛りしたタイは途中2、3回強く海底に突っ込むような独特の引きをみせるので、このときに強引なやりとりをするとハリスを切られたりする。 <松田年雄> 【調理】 タイはその骨が貝塚からも多く出土されており、食用歴の古いことがわかる。『万葉集』には、醤酢{ひしおす}に蒜{ひる}を混ぜ、タイにつけて食べるという歌もあるが、タイは古くから日本人には身近な魚として利用されてきた。タイという字は魚偏に周と書くが、周というのはあまねくとか、どこにもかしこにもという意味をもっている。すなわち日本近海はもとより、そこら中の海にいるという意味からつけられた名前と考えられる。タイの身は脂肪が少なく酵素力も弱いので、古くなっても比較的味が落ちにくい。そこで「腐っても鯛{たい}」ということがいわれる。おめでたいとひっかけ、祝いに使われることが多い。祝い事にはおもに尾頭付きが使われる。  タイの鱗{うろこ}は堅いので、鱗ひきまたは出刃包丁の刃を使って完全に取り除く。姿焼きの場合はえらと内臓を除いてそのまま用いるが、そのほかの料理では3枚におろして用いる。淡泊な味で臭みがなく、しかもうま味が多いので広く料理に利用できる。タイは、ほとんど捨てるところがない。肉は刺身、焼き物、蒸し物、煮物など、頭や中骨はあらだき、潮汁{うしおじる}など、卵巣の真子{まこ}は煮物、精巣の白子{しらこ}は椀種{わんだね}や鍋物{なべもの}にする。  おもな郷土料理には次のようなものがある。 〔鯛のから蒸し〕 石川県の豪華な料理。大ダイを二尾用意し、鱗と内臓を除いて背開きにする。この中ににんじん、タケノコ、きくらげ、すだれ麩{ふ}、おから、ぎんなんなどをいり煮にしたものを詰めて蒸し上げる。魚は大皿に向かい合わせに二尾並べる。祝いの席には青竹でつくった箸{はし}をえらぶたに刺し、松の小枝を添える。 〔たいめん〕 広島県の郷土料理。大きなタイの鱗、えら、内臓をとり、姿のまま酒、みりん、しょうゆ、砂糖などで煮る。そうめんをゆで、大皿に波形に盛り、その上にタイを置く。煮汁をたいめんにかけ、季節により青ゆずをおろしかけたり、木の芽を散らす。 〔浜焼き〕 とれたての魚を、塩をつくるときの釜{かま}や焼き上げた塩に埋めて蒸し焼きにしたもの。とくに瀬戸内海沿岸のタイの浜焼きは有名。『和訓栞{わくんのしおり}』(1777)に、とれたてのタイなどを塩を焼く釜の下の土に埋めて焼くことが記されており、すでに江戸時代にはつくられていたことがわかる。最近は高熱の釜や赤外線を用いて蒸し焼きにしている。身をむしり、しょうがじょうゆをつけて食べる。 <河野友美> 【民俗】 日本では、タイは最初に文献に表れる魚で、『古事記』神代巻に、山幸彦{やまさちひこ}の投げた釣り針をのどにひっかけて登場し、『万葉集』にもタイ釣りの歌がみえる。伊勢{いせ}神宮の神饌{しんせん}では、アワビに次ぐたいせつな魚とされ、「御幣鯛{おんべだい}」という乾鯛が、平安時代から伊勢湾の篠島{しのじま}(愛知県南知多{ちた}町)で調製され、古式のままに塩鯛が供えられている。また七福神の恵比須{えびす}神が釣り上げて持つタイは、「めでたい」に通じる語呂{ごろ}合わせから、祝いの料理や贈答品にされているが、「めでたい」は「めでたし」の口語体で、それほど古いことばではなく、それよりも縁起のよい赤い色彩や姿、味のよさから吉祥魚とされた。江戸時代以前の料理書では、むしろコイのほうが上等とされていた。  二尾の塩鯛を腹合わせにして結び合わせる「掛鯛{かけだい}」(懸鯛)の風習は、江戸時代より関西や四国を中心としてしばしば各地の祭礼や婚礼にみられる。北九州では、婚約が決まると酒一升とタイ一尾を「一升(生)一鯛(代)」の意味で贈り、三重県志摩地方などでも大きなタイ二尾に酒を添えて結納とする。昔は一般の家でも、正月に神棚の前やかまどの上など掛鯛を年神様に供え、これを6月1日に取り外して食べると邪気が払われるとした。また「にらみ鯛」といって、お膳{ぜん}に置いて飾りとする習慣もあった。  愛知県南知多町豊浜{とよはま}では、7月中旬に「鯛祭り」の行事が行われ、大漁を祈願して張り子の大ダイを海の中で担ぐ。広島県三原{みはら}市能地{のうじ}沖でも、毎年3月に「浮き鯛祭り」といって、張り子のタイの腹を上にして担ぐが、これは、この付近を神功{じんぐう}皇后が船で通られたとき、周りにタイが集まって浮き上がったという故事にあやかっている。タイの郷土玩具{がんぐ}は多く、なかでも鹿児島神宮の海幸{うみさち}・山幸{やまさち}の神話にちなむ鯛車は有名である。 <矢野憲一> 【文学】 上代から美味な食料とされ、『万葉集』に、「水江{みづのえ}の浦の島子を詠む」長歌の「堅魚{かつを}釣り 鯛釣りほこり」(巻9・高橋虫麻呂{たかはしのむしまろ})と、「醤酢{ひしほす}に蒜{ひる}つきかてて鯛願ふ我にな見えそ水葱{なぎ}の羹{あつもの}」(巻26・長忌寸意吉麻呂{ながのいみきおきまろ})の2例があり、記紀の海幸・山幸神話などにも、鯛や赤鯛の名がみえる。『日本書紀』仲哀{ちゅうあい}天皇2年6月条、神功皇后が熊襲{くまそ}征討の途中、豊浦津{とゆらのつ}で船の周りに集まった鯛に酒を飲ませて酔わせた話もよく知られる。平安時代に入って、『神楽{かぐら}歌』の「磯良{いそら}が崎」に「鯛釣る海人{あま}」とあり、『土佐日記』にも、楫取{かじと}りが持ってきた鯛を食べたことが記されている。石川雅望{いしかわまさもち}の『狂文吾嬬那万里{きょうぶんあづまなまり}』には「鯛は魚の王なり」で始まる、鯛の故事来歴を記した「鯛亭記{たいていのき}」と題する戯文が収められている。季題は「桜鯛」が春、「落鯛」が秋。 <小町谷照彦>

日本大百科 ページ 37743 でのタイ単語。