複数辞典一括検索+

郷土玩具🔗🔉

郷土玩具 (きょうどがんぐ) 日本各地で古くから手作りでつくられ、それぞれの土地で親しまれてきた玩具。ほとんどが江戸時代から、明治期にかけて発生したもので、その土地の生活風俗など郷土色を反映している。多くは旧藩当時の習俗を残す城下町などを中心に発達した古い型の伝承玩具群で、明治期以後の新しい材料と機械的な製作技法による近代玩具とは区別される。近代玩具に圧倒されて廃絶したものも少なくないが、現在全国に散在している数は約3000種といわれる。 【特徴】 材料は土、木、竹、藁{わら}、紙、布、糸など、明治期以前から存在し、生活周辺から比較的たやすく入手できる安価なものが用いられる。製作は手作りで、伝統的な技術と着想とがみられ、民芸品としての個性がある。内容的には子供向きの遊び道具的なもののほかに、民間信仰やその土地の生活習俗と結び付いたものが多い。神社や寺院の祭礼縁日、門前市などで売られるものが目だち、いずれも安産、子育て、悪病災難除{よ}け、開運出世、招福長寿、商売繁盛、豊作祈願などの縁起物や、マスコット的性格をもったものが多い。なかには神社から授与される護符的色彩がことに強く、玩具らしくないものまで含まれている。また3月、5月の節供飾りや、四季の年中行事にちなんだものがみられ、季節感に富んでいる。ことに節供行事に付随してさまざまな人形類が生まれ、質量ともに郷土玩具の中核となっている。  紙、土製のものは、おもに城下町やその周辺に多く産出される。なぜなら、そういう地域では和紙が多く使われ、反故{ほご}紙類が玩具材料として廃物利用できることや、また町作りの瓦{かわら}焼の影響などがあげられる。土人形製作が全盛期を迎えた江戸末期には、その産地だけでも全国で100か所余りに上った。それらは鎖国300年の太平が生んだ産物でもあった。木製のものは、多く山間部で発達した。いずれも手作り独特の美があり、種類も豊富で、造形にも各地で変化がある。素朴な材料を巧みに用いてつくる、技術と着想が生んだこれらの作品は、日本の伝承的な民族玩具として海外にも紹介され、高く評価されている。 【歴史】 日常生活や流通機構が、地域的に限定されていた封建時代には、玩具もそのほとんどが各地の城下町を中心とした地方色を帯び、いわば郷土玩具そのものであった。江戸中期を過ぎると、古い習俗に興味をもち、各地にみられる伝承的な手遊びおもちゃ類を通し、古俗を学ぼうとする関心も生まれてきた。『骨董{こつとう}集』(山東京伝著)、『嬉遊笑覧{きゆうしようらん}』(喜多村信節{きたむらのぶよ}著)、『守貞漫稿{もりさだまんこう}』(喜田川{きたがわ}守貞著)などの考証随筆類が登場してきたのも、その表れである。  明治期に入ると、この種の玩具類は近代玩具の進歩に押されてしだいに後退し、子供の遊び道具としての生命を失っていくが、それと入れ替わりに、成人層による趣味愛好運動が台頭してきた。これは当時の欧米心酔主義に反発して、日本古来の伝承玩具に郷愁を感じることからおこった。その指導的役割を務めた代表者の1人が、東京の玩具研究家、清水晴風{しみずせいふう}(仁兵衛)である。彼は1891年(明治24)全国各地の人形玩具を採集して描いた玩具画集『うなゐの友』を発行したのをはじめ、明治末期から大正時代にかけて愛玩趣味を広めた。  大正期から東京、大阪などに趣味家相手の郷土玩具の専門店も登場した。郷土玩具は「土俗玩具」「地方玩具」「大供玩具」「諸国玩具」などとよばれたが、1935年(昭和10)ごろ「郷土玩具」の名称に統一された。第二次世界大戦後は観光ブーム、民芸調の流行などから収集趣味も普及している。また伝統的製品を模倣した観光土産{みやげ}の新興郷土玩具類も多く出現している。 <斎藤良輔> 【本】清水晴風著『うなゐの友』(1891・芸艸堂) ▽武井武雄著『日本郷土玩具』(1930・地平社書房) ▽斎藤良輔編『郷土玩具辞典』(1971・東京堂出版)

日本大百科 ページ 16779 での郷土玩具単語。