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原型     【ゲンケイ】🔗🔉

原型     【ゲンケイ】 →プロトタイプ

顕型模写     【ケンケイモシャ】🔗🔉

顕型模写     【ケンケイモシャ】 phenocopy  本来は生物学の表型模写(phenocopy),すなわち遺伝子型(genotype)が変化しないのに環境条件によって表現型(phenotype)だけが突然変異体と類似したものに変化する現象をいう。これを心理学に転用したのが顕型模写であり,遺伝子型が行動の基盤的要因である元型に,表現型が表面的行動である顕型(現象型)に置換されたもので,ある元型から生じる顕型が環境の影響により異なる元型を基盤にもつ顕型と類似することをさす。このような顕型模写を解析することにより,具体的な行動をもたらすに至る元型の構造や機能が明らかにできると考えられる。 →顕型/元型 ◆太田裕彦

言語     【ゲンゴ】🔗🔉

言語     【ゲンゴ】 language  一番広い意味では,記号のシステムを言語とよぶ。これに対し,人間の言語は,自然言語とよんで,他の記号システムである動物のコミュニケーション手段や,コンピュータのプログラム言語などの人工的な言語と区別する。自然言語を他の動物のコミュニケーション・システムから区別する特徴としては,次のようなものがあげられていた。(1)学習の必要性,(2)現場から離れた事象について語ることができる,(3)記号が恣意性をもつ,(4)記号が二重分節をもつ,(5)生産性をもつ。ホケット(Hocket, C.1958)は,これ以外に10種類の特徴を数えている。これらは,どれ一つとしてそれだけで人間の言語を他の記号システムから区別するものではないため,人間と他の動物の言語の差は,質的なものではなく,量的なものであるとする研究者も少なくなかった。1950年代までの行動主義心理学に基づく構造主義的な言語学者は,言語は習慣や性行のシステムであり,子どもは白紙の状態で生まれてきて,両親を始めとする周りの人間からの言語的刺激により言語を習慣化させると考えていた。そこでは,人間の言語は訓練により習得された刺激反応の複雑なシステムにしかすぎない。  これに対し,最近,チョムスキー(Chomsky, N.1986)を中心とする生成文法の立場から,人間の言語は他の動物,たとえば,類人猿のコミュニケーション手段などとは質的な差が存在するという主張がなされている。生成文法によれば,人間の言語(正確には言語のうち脳内に表示されている計算システムである文法)は,構造に依存した有限の規則に基づく,無限の表現(離散的無限)を生成する装置であり,その使用は,刺激と独立的で,創造的であるという性質をもっている。動物のコミュニケーション・システムはこのような性質をいっさい備えていない。したがって,人間の言語は,進化の過程で発生した人間という種に特有の心的器官(mental organ)であるとチョムスキーは考えている。子どものもつ普遍文法はある一定の変異幅を示すスイッチをもっており,子どもは,このスイッチの値をデータから決めることにより,自分の学んでいる言語の文法を決定する。このアプローチでは,言語発達を「訓練による習得」ではなく,豊かな環境により「育っていくもの」として捉えられる。  チョムスキーは,言語現象は複数の認知モジュールの相互作用から出てきた随伴的現象と見なしている。つまり,生成文法がいう文法は,心の一つのモジュールであり,それは再帰構造をもつ離散的無限により特徴づけられた計算システムのみをさす。言語の文化としての性質や,言語使用に関わるさまざまな性質は,この文法モジュールと独立した単数あるいは複数のモジュールと文法モジュールとの相互作用により生じると考えられている。チョムスキーは,文法モジュールの独立性の証拠として,他の認知能力がほとんど機能的に破壊されていても,上の性質をもつ文構成能力が完全に維持されている例をあげている。  このような主張に対し,自然言語の生得性,文法モジュールの独立性を否定する研究者も多い。社会言語学,言語人類学を専門とする言語研究者たちは,言語が共同体ごとに異なること,親から子へと伝えられる社会的,文化的な性質をもっていることに着目し,言語を社会的な存在とし,社会規範が訓練により内在化したものと考える場合が多い。この立場では,子どもは言語に関しては白紙の状態で生まれ,親など周りの大人から学ぶことにより習得すると考える。また,この立場に立つ研究者には,各言語のもつ世界観が言語ごとに異なるという考えに立つため,言語が認知方法に影響を与える,あるいは,認知方法を決定するという,言語相対性仮説を支持する研究者も多い。  上の問題は,生まれつきか訓練か(nature or nurture)の問題として議論されている。しかし実際には,生成文法では,環境や生まれてからの学習の役割を軽視しているわけではないので,この問題は一方が正しく,一方が間違っているという性質のものではない。言語と認知との関係も,強い言語的決定論をとれば,言語を通じてはじめて人間は外界を認識できるとされるが,これは誤っている可能性が高い。外界を認識するスキーマはすでに備わっており,言語はそれに名前を与えるだけであるとする考え方もある。最近の幼児の認知発達の研究は,この後者の方が正しいことを示している。一方,幼児期における言語の訓練が思考,文化,社会行動にある程度の影響を及ぼすことは否定しがたい。敬語システムや呼称システムにおける言語的違いが各文化における社会行動規範と相関していることは事実である。したがって,言語と認知の関係も種として生物学的に規定されている部分と学習によって規定される部分をもつと考えるのが普通である。 →生成文法 →自然言語 →モジュラリティ →モジュール →言語相対性仮説《Fodor, J. A.1983;Langacker, R.1987→vid.文献 ◆田窪行則

心理学辞典 ページ 586