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広辞苑の検索結果 (31)

うす【臼・舂・碓】🔗🔉

うす臼・舂・碓】 穀物を白しらげ、またはつき砕いて粉とし、または餅をつくなどに用いる器。搗臼つきうす・挽臼ひきうす・磨臼すりうすなど。法華経玄賛平安中期点「大なる鉄の槽ウスの中に置きて」 ⇒臼から杵 ⇒臼と杵

うすい【臼井】‥ヰ🔗🔉

うすい臼井‥ヰ 姓氏の一つ。 ⇒うすい‐よしみ【臼井吉見】

うすい‐よしみ【臼井吉見】‥ヰ‥🔗🔉

うすい‐よしみ臼井吉見‥ヰ‥ 評論家・小説家。長野県生れ。東大卒。文芸批評で活躍。作「人間と文学」「安曇野」など。(1905〜1987) ⇒うすい【臼井】

うす‐うた【臼歌】🔗🔉

うす‐うた臼歌】 臼をひき、また搗きながら歌う歌。臼挽き歌。

うす‐おこし【臼起し】🔗🔉

うす‐おこし臼起し】 正月2日の行事。年越しの晩に伏せて休ませておいた臼を起こして、餅のつき初めをする。あるいはあらかじめ調えておいた餅を臼に入れて杵きねの音を立てる。

○臼から杵うすからきね🔗🔉

○臼から杵うすからきね (臼は女、杵は男を象徴する。女から男に働きかけるのは逆であるの意で)事が逆であるさまにいう。 ⇒うす【臼・舂・碓】

うすき【臼杵】🔗🔉

うすき臼杵】 大分県東部の市。豊後水道の臼杵湾に臨み、永禄(1558〜1570)年間、大友氏の城下町として繁栄し、ポルトガル船が来航交易した。慶長以後、稲葉氏5万石の城下町。臼杵石仏がある。人口4万3千。 ⇒うすき‐せきぶつ【臼杵石仏】

うすき‐せきぶつ【臼杵石仏】🔗🔉

うすき‐せきぶつ臼杵石仏】 臼杵市深田・中尾・前田にまたがる石仏群。大日如来や釈迦三尊像・地蔵十王像など75体余りの諸像が現存し、平安後期から鎌倉期の作とされる。 臼杵石仏 撮影:新海良夫 ⇒うすき【臼杵】

うす‐きね【臼杵】🔗🔉

うす‐きね臼杵】 子供の遊戯の一つ。枕木の上に長い板を横たえ、板の両端に一人ずつ向かい合って立ち、交互に両端を踏んで上下するもの。互いに臼をつく杵のようになるからいう。シーソー。

うす‐だいこ【臼太鼓】🔗🔉

うす‐だいこ臼太鼓】 宮崎・大分・熊本などで行われる太鼓踊の一種。幟のぼりを負い音頭の唄につれ、鉦かね・笛を交える青年の勇壮な民俗舞踊。臼太鼓踊。

うす‐たけ【臼茸】🔗🔉

うす‐たけ臼茸】 担子菌類のきのこ。夏から秋に針葉樹林下に生じ、高さ約10センチメートル。漏斗状で中央は深い穴となり、黄褐色。外側は淡色で柄と傘との区別が明らかでない。〈易林本節用集〉

うす‐だま【臼玉】🔗🔉

うす‐だま臼玉】 古墳時代の遺物の一種。管玉くだたまを短く切ったような臼形の祭祀・装身用の玉。滑石かっせき製が普通。

うす‐つき【臼搗き】🔗🔉

うす‐つき臼搗き】 臼に物を入れて杵きねでつくこと。 ⇒うすつき‐うた【臼搗き唄】 ⇒うすつき‐うち【臼搗き打ち】

うすつき‐うた【臼搗き唄】🔗🔉

うすつき‐うた臼搗き唄】 臼を杵でつきながら唄う労働唄。 ⇒うす‐つき【臼搗き】

うすつき‐うち【臼搗き打ち】🔗🔉

うすつき‐うち臼搗き打ち】 杵で臼をつくように、ふりあげてうちおろすこと。浄瑠璃、日本振袖始「―に打つ鋤が、余つて向うへ越す処が」 ⇒うす‐つき【臼搗き】

うす‐づ・く【臼づく・舂く】🔗🔉

うす‐づ・く臼づく・舂く】 〔自四〕 ①臼に物を入れて杵きねでつく。 ②夕日が山に入ろうとする。父の終焉日記「かく日も壁際に―・き、飯時にもならんとするころ」

○臼と杵うすときね🔗🔉

○臼と杵うすときね 本来結びつくべきものが結びつく意。男女の仲がぴったり合うたとえ。 ⇒うす【臼・舂・碓】

うす‐どり【臼取り】🔗🔉

うす‐どり臼取り】 餅つきの時、水に浸した手で餅をひっくりかえし、杵きねに粘着するのを防ぐこと。また、その人。こねどり。

うす‐にわ【臼庭】‥ニハ🔗🔉

うす‐にわ臼庭‥ニハ 農家の表入口に近い土間。臼を置いて米などを搗く。

うすのこえ【臼の声】‥コヱ🔗🔉

うすのこえ臼の声‥コヱ 山田流箏曲。1879年(明治12)山登松齢が家元襲名披露曲として発表。原曲は地歌「夏衣」(冷泉為村作詞、藤尾勾当作曲)。「うす」の語のつく物を並べる。

うす‐ば【臼歯】🔗🔉

うす‐ば臼歯】 ①きゅうし。 ②老人の歯で、すりへって臼のような形をしたもの。〈倭名類聚鈔3

うすひき‐うた【臼挽き歌】🔗🔉

うすひき‐うた臼挽き歌(→)臼歌に同じ。

うす‐ぶせ【臼伏】🔗🔉

うす‐ぶせ臼伏】 東北地方で行われる年占としうらの一種。→年見としみ

うすべ‐どり【臼辺鳥】🔗🔉

うすべ‐どり臼辺鳥】 鶏の古称。〈下学集〉

うす‐や【臼屋】🔗🔉

うす‐や臼屋】 農家の土間どま。臼を置いたからいう。

きゅう‐し【臼歯】キウ‥🔗🔉

きゅう‐し臼歯キウ‥ 哺乳類の上下両顎の奥にある歯。前臼歯(小臼歯)と後臼歯(大臼歯)とに区別され、狭義に後者のみを臼歯という場合も多い。人間では上下とも左右に前臼歯2枚、後臼歯3枚ずつある。後臼歯は乳歯としては生えず、換歯しない。有蹄類・長鼻類などの草食類では特によく発達。→永久歯(図)

きゅう‐じょう【臼状】キウジヤウ🔗🔉

きゅう‐じょう臼状キウジヤウうすのようなかたち。 ⇒きゅうじょう‐かざん【臼状火山】

きゅうじょう‐かざん【臼状火山】キウジヤウクワ‥🔗🔉

きゅうじょう‐かざん臼状火山キウジヤウクワ‥ 〔地〕(→)砕屑丘さいせつきゅうに同じ。 ⇒きゅう‐じょう【臼状】

きゅう‐ほう【臼砲】キウハウ🔗🔉

きゅう‐ほう臼砲キウハウ 火砲の一つ。砲身が口径に比して短く射角の大きい砲で、城や堅固な陣を攻めるのに用いた。

《臼()部》🔗🔉

《臼()部》 「舁」や「興」の「臼」「」は、両手でかかえ持つ形で、うすとは関係ないが、この部に収める。

[漢]臼🔗🔉

 字形 〔臼()部0画/6画/1717・3131〕 〔音〕キュウ〈キウ〉(漢) 〔訓〕うす [意味] 穀物をつく器。うす。うすの形をしたもの。「臼状・臼砲・臼歯・杵臼しょきゅう・脱臼」 [解字] うすの形を描いた象形文字。

大辞林の検索結果 (30)

うす【臼・碓】🔗🔉

うす [1] 【臼・碓】 (1)杵(キネ)を用いて餅をついたり,穀物を精白したりする道具。木または石を丸くえぐった円筒形のもの。 (2)「碾(ヒ)き臼」に同じ。

うす=から杵(キネ)🔗🔉

――から杵(キネ) 〔臼は女,杵は男に見立て,女から男に言い寄るの意〕 物事が普通とは逆であること。「互ひに因果をさらし屋の―とは此こと/浄瑠璃・薩摩歌」

うす=と杵(キネ)🔗🔉

――と杵(キネ) 〔臼は女,杵は男に見立てる〕 縁のあるものどうしは結びつくということ。男女の和合をたとえる言葉。

うすい【臼井】🔗🔉

うすい ウスヰ 【臼井】 姓氏の一。

うすい-よしみ【臼井吉見】🔗🔉

うすい-よしみ ウスヰ― 【臼井吉見】 (1905-1987) 評論家・小説家。長野県生まれ。東大卒。雑誌「展望」初代編集長。文明批評・文学論を展開。評論「蛙のうた」「小説の味わい方」,小説「安曇野」など。

うす-うた【臼唄】🔗🔉

うす-うた [2] 【臼唄】 「臼挽(ウスヒ)き唄」に同じ。

うす-おこし【臼起(こ)し】🔗🔉

うす-おこし [3] 【臼起(こ)し】 正月二日の行事。大晦日(オオミソカ)に伏せておいた臼を起こして餅のつき初めをする。ついておいた餅を臼に入れて杵(キネ)の音をたてたり,白米と鏡餅を臼に供えたりする地方もある。

うすき【臼杵】🔗🔉

うすき 【臼杵】 大分県東部,臼杵湾奥にある市。戦国末期,大友氏の築城に始まり,江戸時代は稲葉氏の城下町。商工業が盛ん。ミカン・カボスを栽培。

うすき-せきぶつ【臼杵石仏】🔗🔉

うすき-せきぶつ 【臼杵石仏】 臼杵市にある石仏群。凝灰岩の岩壁に刻まれた磨崖(マガイ)仏群で,大日如来・阿弥陀如来など六〇体余りが現存。平安後期から鎌倉時代の作。重要文化財。

うすだ【臼田】🔗🔉

うすだ 【臼田】 長野県東部,南佐久郡,千曲川中流の町。蓼科山北東麓に位置。

うすだ【臼田】🔗🔉

うすだ 【臼田】 姓氏の一。

うすだ-あろう【臼田亜浪】🔗🔉

うすだ-あろう ―アラウ 【臼田亜浪】 (1879-1951) 俳人。長野県生まれ。本名,卯一郎。「石楠」主宰。大須賀乙字の影響を受け俳壇の革新を推進,季語に代わる自然感,一句一章説を提唱した。句集に「亜浪句鈔」など。

うすだいこ-おどり【臼太鼓踊り】🔗🔉

うすだいこ-おどり ―ヲドリ [6] 【臼太鼓踊り】 民俗舞踊の一。背に神籬(ヒモロギ)を飾り,胸につけた臼形の大きな太鼓を打って踊る。主に南九州にみられる。

うす-たけ【臼茸】🔗🔉

うす-たけ [2] 【臼茸】 担子菌類のキノコ。高さ5〜15センチメートル。らっぱ状で上面は黄褐色または黄赤色。下面は黄白色で脈状のひだが走る。初秋に針葉樹林内に生える。食用。ラッパタケ。

うす-だま【臼玉】🔗🔉

うす-だま [0] 【臼玉】 古墳時代の玉の一。径5ミリメートル前後,厚さ2〜3ミリメートルの円盤の中央に穴をうがったもの。滑石製が多い。祭祀(サイシ)に用いたらしい。

うす-づ・く【臼搗く・舂く】🔗🔉

うす-づ・く 【臼搗く・舂く】 (動カ四) 〔「うすつく」とも〕 (1)穀物などを臼に入れてつく。「我れ―・き炊(カシ)く所に宿りす/今昔 2」 (2)夕日が山の端に入ろうとする。「かくて日も壁際に―・き/父の終焉日記」

うす-どり【臼取り】🔗🔉

うす-どり [0][4] 【臼取り】 ⇒捏(コ)ね取(ド)り

うす-の-き【臼の木】🔗🔉

うす-の-き [1] 【臼の木】 ツツジ科の落葉低木。山地に自生。よく分枝し,葉は楕円形で互生する。初夏に鐘形で淡黄緑色の小花を下向きにつける。小液果は頭部がへこんで臼に似,甘酸っぱく,食べられる。カクミノスノキ。

うすのこえ【臼の声】🔗🔉

うすのこえ ―コヱ 【臼の声】 山田流箏曲(ソウキヨク)の一。奥許しの曲。森川三左衛門作詞。1879年(明治12)三世山登松齢(ヤマトシヨウレイ)作曲。

うす-ば【臼歯】🔗🔉

うす-ば [2] 【臼歯】 (1)臼歯(キユウシ)。奥歯。 (2)すり減って臼のようになっている老人の歯。[和名抄]

うす-ひき【臼挽き】🔗🔉

うす-ひき [0][4] 【臼挽き】 挽き臼で物を挽き砕くこと。また,その人。

うすひき-うた【臼挽き唄】🔗🔉

うすひき-うた [4] 【臼挽き唄】 民謡。臼を挽きながらうたう仕事唄。臼唄。

うす-ぶせ【臼伏せ】🔗🔉

うす-ぶせ 【臼伏せ】 東北地方で大晦日に行われる年占(トシウラ)の一種。三個の餅を早稲(ワセ)・中手・晩手(オクテ)と定めて米の入った升に入れ,その上に臼を伏せて翌朝臼を起こし,最も多く米粒のついた餅によって,その年作る稲の品種を占う。

うすべ-どり【臼辺鳥】🔗🔉

うすべ-どり 【臼辺鳥】 鶏(ニワトリ)の異名。[下学集]

きゅう-し【臼歯】🔗🔉

きゅう-し キウ― [1] 【臼歯】 哺乳動物の上下の歯列の奥にある歯。前臼歯(小臼歯)と後臼歯(大臼歯)の区別があり,人間では上下左右にそれぞれ前臼歯二本,後臼歯三本がある。

きゅう-じょう【臼状】🔗🔉

きゅう-じょう キウジヤウ [0] 【臼状】 臼(ウス)のような形。

きゅうじょう-かざん【臼状火山】🔗🔉

きゅうじょう-かざん キウジヤウクワ― [5] 【臼状火山】 ⇒火砕丘(カサイキユウ)

きゅう-ほう【臼砲】🔗🔉

きゅう-ほう キウハウ [1] 【臼砲】 砲身が短く射角の大きい近距離用火砲。遮蔽(シヤヘイ)物の陰や反対斜面の射撃に適する。

うす【臼】(和英)🔗🔉

うす【臼】 a mortar;→英和 a hand mill (ひき臼).→英和 〜でひく grind;→英和 mill.

きゅうし【臼歯】(和英)🔗🔉

きゅうし【臼歯】 [大]a molar (tooth);→英和 [小]a premolar (tooth).→英和

日本大百科の検索結果 (14)

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(うす) 穀類などの調理・調整用具の一種。米、麦など穀類の脱穀、精白、製粉をはじめ、餅搗{もちつ}き、みそ搗き、コンニャク作りなどにも使われ、その構造、機能により、搗臼{つきうす}と磨臼{すりうす}とに大別される。 【搗臼】 もっとも広く一般的なのは竪臼{たてうす}で、これには木製と石製がある。その形は、ちょうど大木を輪切りにした円筒状で、この上部を凹形にくりぬいて、そこに穀類を入れ、棒状の竪杵{たてぎね}(手杵)あるいはT字状の横杵を使って搗く。ただし、竪杵用の臼はくぼみが卵状で、一般に製粉に適し、横杵用は蜜柑{みかん}状で、精白、餅搗きなどに適しているといわれる。竪臼、竪杵は古くから東南アジア各地に普及し、日本にも稲作とともに弥生{やよい}文化時代に伝えられ、静岡市の登呂{とろ}遺跡から、当時の鼓{つづみ}形で取っ手付きの臼が出土している。また、香川県出土と伝える同時代の袈裟襷文銅鐸{けさだすきもんどうたく}には、2人の人物が1個の竪臼を中心にして交互に竪杵を搗いている光景がみられることは著名である。以後、長い間、竪臼、竪杵によって、脱穀、精白、製粉といった作業が行われてきたが、江戸時代中期(18世紀後半)ごろ横杵の出現によって、脱穀、精白、餅搗きなどには横杵が用いられるようになり、竪杵は、近年まで、伊豆、薩南{さつなん}(鹿児島県)、沖縄などの諸島で、製粉、みそ搗きなどに、わずかに使用されるにとどまった。このほか、搗臼の一種に踏臼{ふみうす}があるが、これは石製が多く、杵の運動は、てこ状の長木の一端に杵をつけ、他端を足で踏んで行った。唐臼{からうす}、地唐{じがら}(臼)などといい、すでに平安時代の文献にもその名がみえているが、一般化したのは江戸中期以後で、もっぱら精白用として用いられた。足で踏む動力は、その後、水車に変わり、水車の回転を角柱の杵に伝えて上下運動させるものが、以後の一般的精白用具として、明治・大正時代に至るまで広く用いられていた。なお、搗臼には、ほかに舟形をした横臼{よこうす}がある。 【磨臼】 一般に上{うわ}臼と下{した}臼とからなり、下臼を固定し、上臼が下臼の心棒{しんぼう}を軸として回転する構造になっている。上臼の穴から投入された原料は、上下両臼の接触面につくられた歯の摩擦によって、籾殻{もみがら}を除き、粉末にされる。この磨臼{すりうす}の回転には、古くから人の腕力のほか水力や畜力が利用された。木製の磨臼は挽臼{ひきうす}とよばれ、上臼の引き綱を対座した2人が引き合って回転させる。中国明{みん}代の技術書『天工開物{てんこうかいぶつ}』によると、中国のものはその形が平たく、日本や朝鮮、ミャンマー(ビルマ)などで使用されているものは細長い円筒形で、一見、形態は異なるが、その起源はおそらく中国にあると思われる。日本では、早く平安時代から籾摺{もみす}りに使用されていたが、江戸中期から土製の磨臼が広く使用されるようになって、その利用はようやく衰え、わずかに小農家などで明治以後まで使用されていた。沖縄、朝鮮、ミャンマー(ビルマ)などではいまもなお使用している所がある。一方、土製の磨臼は、唐臼{とううす}、籾摺臼{もみすりうす}、磨臼{するす}などといい、上下両臼ともに竹木で外周を編み、その内部に土を詰め、上下の接触面にカシの木、チーク材などの歯を埋め込んでつくる。小形のものは、上臼の横木に遣木{やりぎ}をつけて回転し、大形のものは、数人で前後に押し引きして動かす直線運動を円運動に変えて、上臼を回転する仕掛けになっている。土製の磨臼{すりうす}も中国では古くから使用されていたらしいが、日本では江戸時代も元禄{げんろく}(1688〜1704)のころから一般化した。籾摺り用としては、木製の磨臼より能率は高いものであった。したがって、大規模の地主経営でいち早くこれを採用し、大正・昭和に入って動力精米機が普及するまで、有力な籾摺り用具として利用された。朝鮮、インドシナ、タイ、ミャンマー(ビルマ)などではいまも使用されている。石製の磨臼は、石臼、挽臼とよばれ、上下両臼とも石でつくり、これに板製あるいは木鉢{きばち}などの受け台を併用する。小形のものは上臼に取っ手をつけて回し、大形のものは遣木をもって2、3人で回転させる。この石製磨臼も中国では古くから使用され、日本にも早く飛鳥{あすか}時代に伝来している。初めは、小形のものが、薬剤、絵の具の調製や製茶など特殊の用途に利用されていたが、江戸中期ごろから一般農家にも普及した。主として米、麦の製粉に使用されたが、そば粉、大豆粉、豆腐の製造などにも用いた。現在も中国はじめインドなどでも使用されている。 【民俗】 臼は、神仏に供える粢{しとぎ}や餅を搗き、また穀物など食料調製のための重要な道具として用いられたので、古くからたいせつに扱われ、多くの儀礼、俗信を伴うこととなった。まず、臼を製作するにあたっては、木の選定に大きな注意が払われ、保管にあたっては、一般に農家の母屋{おもや}の大黒柱のそばに置かれ、納屋に収納する場合には、直接、地面に触れないように、台を設けてその上に収納した。しかも、家を新築したときや火災のときには、まず臼から先に運び出し、さらに、使用不能となった古臼の処分には、これを割って近隣七軒に配り、燃やして灰にしてもらうという習俗が一般に行われていた。とくに、長野の善光寺の本尊が初め臼の上に安置されたという『善光寺縁起』の説話は有名だが、神奈川県厚木の厚木神社や江の島の八坂神社(江島{えのしま}神社内)の神輿{みこし}も臼の上に休息するという。また、石川県能登{のと}半島輪島の市神{いちがみ}、市姫様には、大きな石臼が御神体として祀{まつ}られている。さらに、正月行事でも、歳神{としがみ}を迎える祭壇として臼が使用され、これに鏡餅{かがみもち}や若水を供え、正月2日の仕事始めに、臼をおこして餅を搗いたりする習俗は、ほぼ全国各地にみられる。他方、収穫時における十日夜{とおかんや}(10月10日)や11月の初丑{はつうし}の日などにも、臼を祭壇に使用する習俗が行われている。これらはいずれも臼を清浄なものとし、神聖視しているからであろう。こうした臼に対する考え方は、さらに進んで、なにか特別な呪力{じゅりょく}を秘めた道具と意識されるようになっていった。たとえば、葬式に際して、出棺後の部屋を掃き清めるために、唱え詞{ごと}をしながら臼を転がすことが行われ、葬送から帰った人々が、伏せた臼の上の塩で身を清めたのち、初めて家に入る。また、臼を女性に、杵を男性に見立てる思想とともに、婚姻、出産、育児に関する習俗も広く行われているが、吉事の支度に三本杵で米を搗くのをはじめ、嫁入りに入口の左右で餅搗きを行うとか、難産のときに妊婦の夫が臼を背負って家の周囲を巡るとか、妊婦に臼を抱かせると安産するといわれ、また、嫁入りした娘が初めて生児を連れて実家に帰ったとき、その児{こ}を臼の中に入れると健康に育つといった俗信など、多くの事例がみられる。さらに、年末年始にかけても、その年の吉凶を占う臼伏せ、臼休めの行事があり、これらはすべて臼の呪力を示した伝承といえよう。  一方、このような臼に関する儀礼、俗信は、また広く東南アジアの諸民族の間にもみられる。まず、臼を女性の、杵を男性のシンボルとする思想は、諸民族の間に広く認められるものであるが、このほか、たとえばルソン島のティンギアン人は、病気回復の呪術に際し、臼の上に供え物をし、巫女{みこ}がその周囲を祈りながら回る。マレー半島のマレー人の間には、結婚式に新郎新婦が逆さに伏せた臼の周りを三度巡って、これに座ることがある。またジャワでは、日食、月食は天上の怪物が日、月を捕らえるためと考えられ、これを救うために臼をたたいて大きな音を出して、この怪物を脅かす習俗がある。 <宮本瑞夫> 【本】三輪茂雄著『ものと人間の文化史25 臼』(1978・法政大学出版局)

臼井🔗🔉

臼井 (うすい) 千葉県佐倉市西部の一地区。旧臼井町。印旛{いんば}沼の南に位置する。1114年(永久2)千葉氏の一族臼井氏が築いた臼井城があり、城跡が残っている。その近くに名大関雷電為右衛門{らいでんためえもん}の分葬された墓がある。成田{なりた}街道の宿場町で、印旛沼を通じて利根{とね}川水運の港でもあった。一帯は京成電鉄本線に沿っていて大規模な宅地開発が進められ、キャンプ場印旛沼山荘もある。→佐倉(市) <山村順次> 【地】2万5000分の1地形図「佐倉」

臼井吉見🔗🔉

臼井吉見 (うすいよしみ) (1905―87)評論家。長野県南安曇{あずみ}郡三田村(現堀金{ほりがね}村)に生まれる。1929年(昭和4)東京帝国大学国文科卒業後、中学教師を経て筑摩{ちくま}書房創立に参加。第二次世界大戦後は同書房発刊の『展望』編集長として活躍し、文壇、論壇に新風を吹き込む。そのかたわら評論活動も旺盛{おうせい}で『近代文学論争』(1956)は56年度(昭和31)芸術選奨受賞作となった。このほかに『大正文学史』(1959)、『蛙のうた』(1965)などがある。また長編小説五部作『安曇野』(1964〜73。谷崎潤一郎賞受賞)や、川端康成の死をモデルにし、物議を醸した『事故のてんまつ』(1975)などの作品活動も世評高い。 <松本鶴雄> 【本】『安曇野』全五巻(1965〜74・筑摩書房)

臼杵(市)🔗🔉

臼杵(市) (うすき) 大分県の南東部、臼杵湾に臨む市。1950年(昭和25)臼杵町と海辺{あまべ}村が合併して市制施行。54年佐志生{さしう}、下ノ江{したのえ}、下北津留{しもきたつる}、上北津留、南津留の五村を編入。JR日豊{にっぽう}本線、国道217号が通じ、愛媛県八幡浜{やわたはま}市との間にフェリーボートの定期船がある。1563年(永禄6)キリシタン大名の大友宗麟{そうりん}が阿蘇{あそ}溶岩流末端の丹生島{にうじま}に築城、東九州の政治・経済の要地となり、ポルトガル、イスパニア、明{みん}などの貿易船も入港し、南蛮文化の花開いた地であった。大友氏滅亡後も福原、太田、稲葉(五万石)氏の城下町として続き、明治以後は北海部{きたあまべ}地方の中心地として栄えた。中世の城下町は海添{かいぞえ}、唐人{とうじん}町、市{いち}、はまの町、ぎおんのす、などの町からなり、武士集住地区の形成はなかったらしい。キリスト教の会堂、寺院と町屋は1586年(天正14)島津義久{よしひさ}の軍に焼かれた。近世の城下町は、城西の祇園洲{ぎおんのす}と二王座{におうざ}、海添の台地が侍{さむらい}町、その間が町屋であった。二王座の旧家・寺院の密集地域と唐人町の醸造業老舗{ろうほ}地区には往時をしのばせる建物や町並みが残っている。産業は、上臼杵駅付近にたばことウイスキー、市街地には江戸時代からの伝統をもつみそ・しょうゆと薬品の工場があり、商工業は盛んである。城跡の臼杵公園はサクラの名所。  北部の佐志生、下ノ江、北津留にはミカン園が多い。下ノ江は入り江に臨み、江戸時代は風待ち港として栄え、湾内でカキが養殖され、湾奥の埋立地に造船所がある。海辺の津留は船舶運搬業や船乗りが多い。諏訪{すわ}の下山{しもやま}古墳は国指定史跡。臼塚{うすつか}古墳の石人二体は国指定重要文化財で、その石人は臼と杵{きね}の形を表し臼杵地名の起源ともされる。下中尾{しもなかお}・深田{ふかた}と前田の二地区には特別史跡と国指定重要文化財の臼杵磨崖仏{まがいぶつ}(臼杵石仏)があり、南東部には板知屋{いたちや}、風成{かざなし}、大泊{おおとまり}、深江{ふかえ}の漁港がある。人口3万6614。→臼杵石仏 <兼子俊一> 【地】5万分の1地形図「佐賀関{さがのせき}」「臼杵」「犬飼{いぬかい}」 【本】増村隆也著『新編臼杵史』(1957・同書刊行会) 【URL】[臼杵市] http://www.city.usuki.oita.jp/

臼杵石仏🔗🔉

臼杵石仏 (うすきせきぶつ) 大分県臼杵市大字下中尾{しもなかお}・深田{ふかた}と前田の二地区に所在する平安時代末から室町時代にかけての石仏。下中尾・深田地区の石仏は、ホキ、堂ヶ迫{どうがさこ}、山王山、古園{ふるぞの}、木原、観音の六群からなり、磨崖仏{まがいぶつ}を含めて60余体ある。前田地区には、一群のみ七体の磨崖仏がある。磨崖仏は、凝灰岩の斜面を利用し、丸彫り手法により彫られている。木彫仏に類似した容姿と立体感は、日本石仏中の優品の一つといわれる。1976年(昭和51)から82年まで深田地区では、石仏周辺の環境整備に伴う発掘調査が臼杵市教育委員会によって実施され、石仏に関連する寺院跡の存在が確認された。両地区の石仏は1952年特別史跡、62年国指定重要文化財に指定。 <菊田 徹>

臼杵藩🔗🔉

臼杵藩 (うすきはん) 豊後{ぶんご}国海部{あまべ}郡臼杵{うすき}(大分県臼杵市)に藩庁を置いた藩。藩主稲葉氏。外様{とざま}。1593年(文禄2)豊後一国を支配した大友義統{よしむね}の除封後、福原直高{なおたか}(六万石)が臼杵に入ったが、1597年(慶長2)直高は府内に移り、かわって太田一吉{かずよし}(三万五千石)が臼杵に入った。しかし1600年(慶長5)関ヶ原の戦いが起こると、西軍に属した一吉は豊後岡の中川秀成{ひでなり}に攻め落とされ、このあと美濃{みの}(岐阜県)八幡城主稲葉貞通{さだみち}が同戦の戦功によって海部、大野、大分3郡に五万六十石余を与えられ臼杵に入った。貞通のあと典通{のりみち}、一通{かずみち}、信通{のぶみち}、景通{かげみち}、知通{ともみち}、恒通{つねみち}、董通{まさみち}、泰通{やすみち}、弘通{ひろみち}、雍通{てるみち}、尊通{たかみち}、幾通{ちかみち}、観通{あきみち}、久通{ひさみち}と15代続き、廃藩置県に至った。正徳{しょうとく}(1711〜16)ごろから藩財政が窮乏し始め、1811年(文化8)には大野郡三重郷から百姓一揆{いっき}が起こって領内に広がり、1830年(天保1)には借財が26万両に達した。このため翌年、家老村瀬庄兵衛{しようべえ}を総元締として天保{てんぽう}の改革を実施、いちおうの成果をあげた。1871年(明治4)7月廃藩、臼杵県となり、同年11月大分県に統合された。 <柴多一雄>

臼杵湾🔗🔉

臼杵湾 (うすきわん) 大分県南東部、豊後{ぶんご}水道西側に位置し、リアス式海岸最北部の湾。佐賀関{さがのせき}半島の関崎{せきざき}(地蔵{じぞう}崎)と、楠屋鼻{くすやばな}との間で、湾口は約17キロ、南西へ約13キロ湾入。佐賀関、上浦{かみうら}、佐志生{さしう}、下{した}ノ江{え}、板知屋{いたちや}、風成{かざなし}、深江{ふかえ}などの漁港があり、イワシ、タイ、ブリ、サワラ、ボラ、イサキ、イカなどの漁獲がある。湾内に蔦{つた}島、三ツ子島、黒島、津久見島などの小島、湾奥に臼杵市街地がある。 <兼子俊一>

臼田(町)🔗🔉

臼田(町) (うすだ) 長野県中東部、南佐久{みなみさく}郡にある町。佐久盆地南部に位置し、1893年(明治26)町制施行。1955年(昭和30)切原{きりはら}村、57年田口青沼{たぐちあおぬま}村と合併。町域は千曲{ちくま}川の両岸に広く広がり、中心街は左岸にある。JR小海{こうみ}線が町域の中央を南北に通過し、商店街は国道141号に沿っている。明治以後は南佐久郡の行政、教育の中心にもなっている。長野県厚生農業協同組合連合会の佐久総合病院があり、農村医学のメッカといわれ、7階建ての偉容を誇り、全県下より患者が集まる。また田口には、函館五稜郭{はこだてごりょうかく}とともに全国で二つしかない星型の城郭竜岡{たつおか}城跡(国指定史跡)がある。1863年(文久3)田野口藩主大給{おぎゅう}松平乗謨{のりかた}がフランスの築城法を取り入れて建てた(完成は1867年)もので、函館の約半分の規模。現在、城跡は小学校になっているが、星型の堀はそのまま現存している。これより東1キロの山麓{さんろく}には、室町末期建立の国指定重要文化財の三重塔をもつ新海{しんがい}神社がある。人口1万6178。→竜岡城 <小林寛義> 【地】2万5000分の1地形図「信濃田口」「臼田」 【URL】[臼田町] http://www.avis.ne.jp/~usuda/

臼田亜浪🔗🔉

臼田亜浪 (うすだあろう) (1879―1951)俳人。長野県生まれ。本名卯一郎。旧号一兎{いつと}。法政大学卒業。1914年(大正3)高浜虚子{きよし}に会い、少年時代より始めて中絶していた俳句を再開。翌年、大須賀乙字{おつじ}の援助を得て『石楠{しやくなげ}』を創刊、主宰。「まこと」を俳句の心とし「自然感」「一句一章」を説いた。作風は素朴で荘重。俳壇を大いに批判、警鐘的な役割を果たした。門下に大野林火{りんか}らがいる。句集に『亜浪句鈔{しよう}』(1925)、『旅人』(1937)、『白道』(1946)など。 <鷹羽狩行>  郭公{かつこう}や何処{どこ}までゆかば人に逢{あ}はむ 【本】『臼田亜浪全句集』(1977・同書刊行会)

ウスタケ🔗🔉

ウスタケ (うすたけ) 【漢】臼茸 【学】Gomphus floccosus (Schwein.) Sing. 担子菌類、マツタケ目ラッパタケ科の食用キノコ。全体はメガホン形で、高さ7〜20センチほど。傘は深い漏斗{ろうと}形で、中心のくぼみは茎の根元まで達する。径5〜15センチ。表面は大きく跳ね返るささくれを帯び、鮮紅色ないしは朱黄色。傘の下面は低い脈状のしわを帯び、胞子紋は濃いクリーム色。胞子は楕円{だえん}形で表面にはしわ状の粗面がある。アジアと北アメリカに分布し、マツ科の針葉樹に菌根をつくる。食用になるが一般には利用されていない。ウスタケに似ているがより大形で赤みを帯びないものにフジウスタケG. fujisanensis (Imai) Imaz.がある。これは食用には不向きである。 <今関六也>

臼玉🔗🔉

臼玉 (うすだま) 古墳時代の玉の一種。竹管を短く輪切りにしたような形で、直径5ミリ、厚さ2〜3ミリ程度で、厚さより径が大きい。外側は直をなすが、なかには膨らみをもつものもあり、上下両面に凹凸があるなど、粗製品が多い。碧玉{へきぎょく}岩やガラス製で装身用とみられるものもまれにあるが、一般に滑石{かつせき}製で祭祀{さいし}用として一括し大量に出土する例が多い。なお、石器時代には丸玉の粗製品のうちに臼玉形をしたものがある。 <村井?雄>

ウスノキ🔗🔉

ウスノキ (うすのき) 【漢】臼木 【学】Vaccinium hirtum Thunb. ツツジ科の落葉低木。高さ1メートル内外で若枝は緑色。葉は互生し、長楕円{だえん}状卵形、長さ2〜4センチで先はとがり、縁{へり}に細鋸歯{きょし}がある。4、5月、前年の枝の先に白色ですこし赤褐色を帯びた鐘形の花が1〜3個下向きに開く。花冠は長さ約5ミリで、先が浅く5裂して反り返り、雄しべは10本ある。果実は倒卵形、長さ約1センチで浅い五稜{りょう}があり、先はへこみ、周りに五枚の萼片{がくへん}が残っている。8、9月に赤く熟して食べられる。北海道、本州、四国、九州の山地に分布する。名は、果実の先がへこみ臼{うす}形になるためで、果実が角張るのでカクミノスノキ(角実の酢の木)ともよばれる。 <小林義雄>

臼歯🔗🔉

臼歯 (きゅうし) 哺乳{ほにゅう}類の上下両顎{がく}の左右最後部に位置する歯をいう。前方の小さいものを小臼歯(前臼歯)、後方の大きいものを大臼歯(後臼歯または単に臼歯)とよび、それらの形と数は動物の種類によって異なる。大臼歯は換歯せず、乳歯は存在しない。草食獣の臼歯の咬合{こうごう}面には小さな起伏があるが全体としては平らであり、食物の磨砕に適している。このように形・機能が挽臼{ひきうす}に似ていることからこの名がつけられている。肉食獣にも臼歯はあるが、形・機能は草食獣のものと異なり、咬合面はとがっていて、すりつぶすよりは、かみ切るのに適している。とくに臼歯列のほぼ中央にある1本の大きな歯(裂歯または裂肉歯)がそのおもな機能を果たし、前後の臼歯はかなり小さくなっている。ヒトを含む雑食性動物の臼歯の形および機能は、草食獣のものと肉食獣のものとの中間型である。その咬合面は肉食獣のものほどはとがらず、また草食獣のそれほどには臼状でない。→歯 →かむ <内堀雅行>

臼状火山🔗🔉

臼状火山 (きゅうじょうかざん) 底面積に比べて高さが低く、山頂に大きな火口があり臼{うす}の形に似ている火山。臼{うす}状火山、ホマーテHomate(ドイツ語)ともいう。ドイツの地理学者シュナイダーK. Schneiderが1911年に提唱した、形態による火山分類の七基本型の一つ。おもに火山砕屑{さいせつ}物からなるが、多少の溶岩流を伴うこともある。噴石丘(火山砕屑丘)の一種で、一般に小規模で、活動が短命で終わったことを物語っている。ハワイのオアフ島には、ワイキキ浜に隣接するダイヤモンド・ヘッド(海抜205メートル)をはじめ、ポンチボール、ココヘッドなど典型的なものがある。日本には好例がないが、鹿児島県桜島火山の東麓{とうろく}にある鍋{なべ}山はこの類といわれる。 <諏訪 彰>

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