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いわみ‐ぎんざん【石見銀山】イハミ‥🔗⭐🔉振
いわみ‐ぎんざん【石見銀山】イハミ‥
①島根県大田市大森にあった銀山。16〜17世紀に大量産出。江戸幕府直轄地だったが、幕末にはその寿命を終えた。現在は世界遺産。大森銀山。
石見銀山
提供:NHK
石見銀山
提供:NHK
②島根県津和野の笹ケ谷ささがたに鉱山(石見銀山領)産出の砒石ひせきで製した殺鼠剤。浮世風呂4「かね金山もすさまじい。―鼠とり薬でも食つたらう」
⇒いわみ【石見】

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いわみ-ぎんざん【石見銀山】🔗⭐🔉振
いわみ-ぎんざん イハミ― [4] 【石見銀山】
(1)島根県大田(オオダ)市大森にあった大銀山。一六世紀の初頭に発見され,江戸時代には幕府直轄となり,一七世紀初頭が最盛期。1923年(大正12)休山。大森銀山。
(2)石見銀山から出るヒ石で製造した殺鼠(サツソ)剤。毒薬にも使われた。「―鼠とり薬でも食つたらう/滑稽本・浮世風呂 4」
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石見銀山🔗⭐🔉振
石見銀山
(いわみぎんざん)
戦国期から江戸中期にかけての代表的銀山。石見国邇摩{にま}郡大森(島根県大田{おおだ}市大森町)にあり、近世の金銀山開発の先駆をなした。14世紀初めに発見されたと伝えられるが、16世紀前半から本格化し、1533年(天文2)神谷寿禎{かみやじゅてい}が博多{はかた}から吹大工{ふきだいく}(製錬工)を伴い、銀の製錬に成功した。以後、大内{おおうち}、小笠原{おがさわら}、尼子{あまご}、毛利{もうり}氏らの銀山争奪戦が反復されたが、1600年(慶長5)関ヶ原の戦い後は徳川氏が支配し、代官頭大久保石見守{いわみのかみ}長安{ながやす}の奉行{ぶぎょう}時代に盛況となり、代官陣屋の設置と銀山町が形成された。16世紀後半には一か年で数百貫以上の産出があり、長安の時代には山師安原因繁{やすはらよりしげ}の本谷の釜屋間歩{かまやまぶ}は、1602、03年ころには一か年の運上銀3600貫にも達した。しかし寛永{かんえい}年間(1624〜44)以降はしだいに衰退し、享保{きょうほう}期(1716〜36)以降には年間100貫前後となり、1837年(天保8)から57年(安政4)灰吹{はいふき}銀高は平均42貫余と激減した。江戸期の銀山の管轄は大森代官所で、18世紀以降は銅も産して、銀銅が尾道を経由して大坂へ送られた。明治以降にも稼行し、1887年(明治20)大阪の藤田組の所有となり、一時は銅、金、銀1か月3130貫を産出したが、1923年(大正12)に休山となった。 <村上 直>
【本】山根俊久著『石見銀山に関する研究』(1974・臨川書店) ▽小葉田淳著『日本鉱山史の研究』(1968・岩波書店)
【URL】[岩見銀山資料館] http://www.joho-shimane.or.jp/cc/silver/
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