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広辞苑の検索結果 (1)

かちお‐でら【勝尾寺】‥ヲ‥🔗🔉

かちお‐でら勝尾寺‥ヲ‥ (カツオジ・カチオジとも)大阪府箕面みのお市にある真言宗の寺。727年(神亀4)善仲・善算が創立、777年(宝亀8)光仁天皇の皇子開成かいじょう親王が入山し、弥勒寺みろくじと称した。貞観(859〜877)年中、勝尾寺と改称。法然も一時住した。西国三十三所第23番の札所。

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かちお-でら【勝尾寺】🔗🔉

かちお-でら カチヲ― 【勝尾寺】 大阪府箕面(ミノオ)市にある高野山真言宗の寺。山号は応頂山。西国三十三所の第二十三番札所。727年善仲・善算の創建と伝え,光仁帝の皇子開成(カイジヨウ)が入山して弥勒(ミロク)寺と称した。清和天皇より現寺号をおくられ,歴代皇室の帰依を受けた。

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勝尾寺🔗🔉

勝尾寺 (かつおじ) 大阪府箕面{みのお}市粟生間谷{あおまだに}にある寺。俗に「かちおじ」ともいう。高野山真言宗に属し、応頂山菩提院{おうちようざんぼだいいん}と号する。本尊は十一面千手観音{せんじゆかんのん}。西国三十三所第二十三番札所。奈良時代末、善仲・善算の兄弟が入山、765年(天平神護1)2人に師事した光仁{こうにん}天皇の皇子開成{かいじよう}が止住、のち堂宇を建立し弥勒寺{みろくじ}と称したのに始まる。清和{せいわ}天皇の病気平癒に効験あり、現寺名を賜った。中世には広大な寺域を領し、寺運盛んであったが、源平の乱で一山焼失した。  現在、源頼朝{よりとも}再建と伝える薬師堂ほか、近世に再建された本堂、大師堂などが並ぶ。また旧境内には中世に寺領の境界を標示するために寺の八方に築造された八天石蔵{はつてんのいしぐら}(四天王、四大明王像を埋納)と町石が遺存し、国史跡に指定されている。寺宝の薬師三尊像、『法華経{ほけきよう}』第四巻は国の重要文化財。また勝尾寺文書を多数蔵する。 <金岡秀友>

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