○石の上にも三年いしのうえにもさんねん🔗🔉

○石の上にも三年いしのうえにもさんねん (石の上でも3年続けてすわれば暖まるとの意から)辛抱すれば必ず成功するという意。 ⇒いし【石】 いし‐のうりょく意思能力】 〔法〕自分の行為の結果を認識・判断しうる精神的能力。幼児・精神障害者・泥酔者などは意思無能力者であり、意思能力のない者が法律行為をしても無効とされる。 いし‐の‐おおとこ石の大床‥オホ‥ (→)石棺せっかんに同じ。 いし‐の‐おび石の帯】 石帯せきたいのこと。 いし‐の‐おまし倚子の御座】 倚子を設けてつくった天皇着席の座。天徳歌合「後涼殿の渡殿わたどのにあたりて、西向に―装ひておはします」 いし‐の‐じゆう意志の自由‥イウ 〔哲〕自分の行為を自由に決定できる自発性があること。哲学史上、これを肯定する非決定論と否定する決定論との間で論争がある。カントは物質的現象世界では決定論を認めたが、行為の世界においては道徳成立の根拠として意志の自由の存立を認め、この対立を調停しようとした。 いし‐の‐たけ石の竹】 (「石竹せきちく」の訓読)セキチクの別称。散木奇歌集「春日野の―にも花咲きにけり」 いし‐の‐ち石の乳】 鍾乳石しょうにゅうせきの古名。つららいし。いしのちち。いしのつらら。肥前風土記「窟いわやあり。鍾乳いしのち、また、木蘭あり」 いし‐の‐つぼ石の壺】 ①(→)「いしつぼ」に同じ。 ②石を敷きつめた中庭。 いし‐の‐つらら石の氷柱】 鍾乳石しょうにゅうせきの古名。 いし‐の‐はし石の階】 (「石階せっかい」の訓読)石の階段。石段。源氏物語須磨「竹編める垣しわたして、―、松の柱」 いし‐の‐ひ石の火】 ①燧石ひうちいしできり出す火。きりび。また、石から出ると想像した火。宇津保物語梅花笠「―に氷解く」 ②またたく間。電光石火。また、石の火はすぐ消えるので、はかない事のたとえ。千五百番歌合「―にこの身をよせて」 いし‐の‐ま石の間】 権現造ごんげんづくりの神社の本殿と拝殿との間に石を敷いた所。合あいの間。 ⇒いしのま‐づくり【石の間造】 いしのまき石巻】 宮城県北東部の市。北上川河口に位置し、仙台藩の米の積出港として発達。近年、河口の西方に工業港を造成。古名、伊寺水門いしのみなと・牡鹿湊。人口16万7千。 いしのま‐づくり石の間造(→)権現造ごんげんづくりに同じ。 ⇒いし‐の‐ま【石の間】 いし‐のみ石鑿】 ①弥生時代の石斧の一つ。 ②石切鑿いしきりのみの略。 いし‐の‐みなと石の湊】 硯すずりの異称。 いし‐ばい石灰‥バヒ 生石灰せいせっかい、または消石灰しょうせっかいの称。→石灰せっかい⇒いしばい‐がま【石灰窯】 ⇒いしばい‐の‐だん【石灰の壇】 いしばい‐がま石灰窯‥バヒ‥ 石灰石せっかいせきなどを焼いて生石灰を製するかま。粘土・煉瓦などで製造する。 ⇒いし‐ばい【石灰】 いしばい‐の‐だん石灰の壇‥バヒ‥ 清涼殿の東廂ひがしびさしの南隅にあって、天皇が毎朝、伊勢大神宮・内侍所を拝した所。石灰を固めて壇を築いた。石灰の間→清涼殿(図) ⇒いし‐ばい【石灰】 いし‐はくじゃく意志薄弱】 意志の力が弱く、忍耐に欠け、自分の判断で物事をおこなえないこと。 いし‐ばし石階】 石の階段。いしだん。蜻蛉日記「―おりのぼりなどすれば」 いし‐ばし石橋】 石で造った橋。石の橋。 ⇒石橋を叩いて渡る いしばし石橋】 姓氏の一つ。 ⇒いしばし‐しあん【石橋思案】 ⇒いしばし‐たんざん【石橋湛山】 ⇒いしばし‐にんげつ【石橋忍月】 いし‐はじき石弾き】 ①石弓。推古紀「弩おおゆみ・―の類」 ②遊戯の名。双方豆大の石を並べ、指先で石を弾いて、あたった相手の石を取り、勝負を争うこと。おはじき。 いしばし‐しあん石橋思案】 小説家。名は助三郎。別号、雨香など。横浜生れ。東大中退。尾崎紅葉らと硯友社けんゆうしゃを興し、戯作風の軽文学をよくした。作「乙女心」「京鹿子」など。(1867〜1927) ⇒いしばし【石橋】 いしばし‐たんざん石橋湛山】 評論家・政治家。山梨県出身。早大卒。東洋経済新報社社長を経て、第1次吉田内閣の蔵相。自由民主党総裁。1956〜57年首相。第二次大戦前「小日本主義」を唱えるなど自由主義的論陣を張り、戦後も日中・日ソの交流に尽力。(1884〜1973) 石橋湛山 撮影:田村 茂 ⇒いしばし【石橋】 いしばし‐にんげつ石橋忍月】 文芸評論家・小説家。名は友吉。福岡生れ。山本健吉の父。東大在学中から二葉亭四迷の「浮雲」などの批評で認められた。(1865〜1926) ⇒いしばし【石橋】 いしばし‐やま石橋山】 小田原市南西部にある山。1180年(治承4)源頼朝が大庭景親に敗れた所。

広辞苑石の上にも三年で始まるの検索結果 1-1