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ぶん‐しょう【文章】‥シヤウ🔗🔉

ぶん‐しょう文章‥シヤウ (モンジョウとも) ①(「文」は青と赤のあや、「章」は赤と白のあや)表おもてにあらわれた文あや模様。また、容儀。平家物語3「およそはこの大臣―うるはしうして心に忠を存じ」 ②文字を連ねてまとまった思想を表現したもの。普通には韻文に対して散文をいう。 ③文よりも大きい言語単位で、通常は複数の文から構成されるもの。それ自身完結し統一ある思想・感情を伝達する。 ⇒ぶんしょう‐か【文章家】 ⇒ぶんしょう‐ご【文章語】 ⇒ぶんしょう‐たい【文章体】 ⇒ぶんしょう‐ほう【文章法】 ⇒ぶんしょう‐ろん【文章論】 ⇒文章は経国の大業、不朽の盛事なり

ぶんしょう‐か【文章家】‥シヤウ‥🔗🔉

ぶんしょう‐か文章家‥シヤウ‥ 文章を巧みに綴る人。また、文章を書くことを業とする者。 ⇒ぶん‐しょう【文章】

ぶんしょうきはん【文章軌範】‥シヤウ‥🔗🔉

ぶんしょうきはん文章軌範‥シヤウ‥ 文集。7巻。宋の謝枋得しゃぼうとく編。科挙の受験者のために軌範とすべき「出師表」「帰去来辞」のほか、唐・宋の名家の文章全69編を放胆文・小心文の2種に分けて集めたもの。日本でも室町末期以後広く読まれた。

ぶんしょう‐ご【文章語】‥シヤウ‥🔗🔉

ぶんしょう‐ご文章語‥シヤウ‥ 文章を書く場合に用いる言語。→文語⇒ぶん‐しょう【文章】

ぶんしょうせかい【文章世界】‥シヤウ‥🔗🔉

ぶんしょうせかい文章世界‥シヤウ‥ 文芸雑誌。1906年(明治39)3月博文館創刊。田山花袋、のち長谷川天渓・加能作次郎らが編集主任。投稿雑誌として自然主義運動の中心となる。21年(大正10)1月「新文学」と改題、1年で廃刊。

ぶんしょう‐たい【文章体】‥シヤウ‥🔗🔉

ぶんしょう‐たい文章体‥シヤウ‥ 文章語を用いた文体。文語体。 ⇒ぶん‐しょう【文章】

○文章は経国の大業、不朽の盛事なりぶんしょうはけいこくのたいぎょうふきゅうのせいじなり🔗🔉

○文章は経国の大業、不朽の盛事なりぶんしょうはけいこくのたいぎょうふきゅうのせいじなり [魏文帝、典論論文]文章は治国の大事業で、永久に朽ちない盛大な事業である。すぐれた文章は不滅で永久に伝えられるものだ。 ⇒ぶん‐しょう【文章】

ぶんしょう‐ほう【文章法】‥シヤウハフ🔗🔉

ぶんしょう‐ほう文章法‥シヤウハフ ①文章を作る作法。 ②文の構造・種類などに関する法則。 ⇒ぶん‐しょう【文章】

ぶんしょう‐ろん【文章論】‥シヤウ‥🔗🔉

ぶんしょう‐ろん文章論‥シヤウ‥ ①(修辞学・文章作法・文体論などで)文章に関する論。 ②(→)文章3を研究対象とする国語学の一部門。 ⇒ぶん‐しょう【文章】

もんじょう‐いん【文章院】‥ジヤウヰン🔗🔉

もんじょう‐いん文章院‥ジヤウヰン 古代、大学寮内にあった紀伝道のための講堂・寄宿舎。文章博士・文章生新設の際に建てられたとする説と菅原清公が建てたとする説とがある。後に、その東曹を大江氏、西曹を菅原氏が管理。1177年(治承元)焼失。北堂。 ⇒もん‐じょう【文章】

もんじょう‐しょう【文章生】‥ジヤウシヤウ🔗🔉

もんじょう‐しょう文章生‥ジヤウシヤウ 古代、大学寮で紀伝道を学んだ学生がくしょう。平安時代には、擬文章生などから詩賦の試験(省試)に合格した者。 ⇒もん‐じょう【文章】

もんじょう‐どう【文章道】‥ジヤウダウ🔗🔉

もんじょう‐どう文章道‥ジヤウダウ 律令制の大学における紀伝道の別称。中国の史学・文学を学び作文を習う課程。→紀伝道⇒もん‐じょう【文章】

もんじょう‐とくごうしょう【文章得業生】‥ジヤウ‥ゴフシヤウ🔗🔉

もんじょう‐とくごうしょう文章得業生‥ジヤウ‥ゴフシヤウ 古代、文章生の中から2名選抜されて、給費生として7年(のち期間は短縮)勉学の後、秀才3の試験(方略試)に応ずる者。 ⇒もん‐じょう【文章】

もんじょう‐はかせ【文章博士】‥ジヤウ‥🔗🔉

もんじょう‐はかせ文章博士‥ジヤウ‥ 古代の大学で詩文と歴史とを教授した教官。728年(神亀5)に定員一人を置き、834年(承和1)に紀伝博士を併合して定員二人とする。平安後期以降は菅原・大江・藤原三氏による寡占。 ⇒もん‐じょう【文章】

もん‐ぞう【文章】‥ザウ🔗🔉

もん‐ぞう文章‥ザウ ⇒もんじょう

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