おおはら【大原】オホ‥(地名)🔗⭐🔉振
おおはら【大原】オホ‥
(オハラとも)京都市左京区(もと愛宕おたぎ郡)の一地区。八瀬やせの北にあり、高野川に沿う小さな盆地をなす。後鳥羽天皇陵、寂光院・来迎院・三千院の古刹がある。惟喬親王の隠棲した地。(歌枕)
⇒おおはら‐ごこう【大原御幸】
⇒おおはら‐め【大原女】
⇒おおはら‐もんどう【大原問答】
おおはら【大原】オホ‥(姓氏)🔗⭐🔉振
おおはら‐しげとみ【大原重徳】オホ‥🔗⭐🔉振
おおはら‐しげとみ【大原重徳】オホ‥
幕末・維新期の公家。京都生れ。1862年(文久2)江戸に使し、幕政改革の勅諭を伝達。その後、反幕派として活動。維新後、参与・議定。大原三位。(1801〜1879)
⇒おおはら【大原】
おおはらの【大原野】オホ‥🔗⭐🔉振
おおはらの【大原野】オホ‥
京都市西京区西部の地区。小塩山・淳和天皇陵・大原野神社・善峰寺・勝持寺などの名勝史跡がある。(歌枕)
⇒おおはらの‐じんじゃ【大原野神社】
おおはらの‐じんじゃ【大原野神社】オホ‥🔗⭐🔉振
おおはらの‐じんじゃ【大原野神社】オホ‥
大原野南春日町にある元官幣中社。藤原氏が氏神の春日明神を奈良から勧請かんじょうしたもので、朝廷の尊崇が厚かった。二十二社の一つ。
大原野神社
撮影:的場 啓
⇒おおはらの【大原野】

おおはら‐びじゅつかん【大原美術館】オホ‥クワン🔗⭐🔉振
おおはら‐びじゅつかん【大原美術館】オホ‥クワン
倉敷市にある美術館。1930年(昭和5)大原孫三郎が創設。洋画家児島虎次郎(1881〜1929)が選定したエル=グレコなど西洋絵画を中心に、現代・中国美術・民芸なども収蔵。
⇒おおはら【大原】
おおはら‐まごさぶろう【大原孫三郎】オホ‥ラウ🔗⭐🔉振
おおはら‐まごさぶろう【大原孫三郎】オホ‥ラウ
紡績業者・社会事業家。倉敷生れ。早大卒。倉敷紡績などの社長。私財を投じ、大原社会問題研究所・倉敷労働科学研究所・大原美術館などを設立。(1880〜1943)
⇒おおはら【大原】
おおはら‐め【大原女】オホ‥🔗⭐🔉振
おおはら‐もんどう【大原問答】オホ‥ダフ🔗⭐🔉振
おおはら‐もんどう【大原問答】オホ‥ダフ
浄土宗の開祖法然が1186年(文治2)に大原の勝林院で叡山・南都の学僧と浄土念仏の教理を論義・問答して信服させたこと。大原談義。
⇒おおはら【大原】
おおはら‐ゆうがく【大原幽学】オホ‥イウ‥🔗⭐🔉振
おおはら‐ゆうがく【大原幽学】オホ‥イウ‥
江戸後期の農村指導者。諸国を遍歴、神・儒・仏に通じ、心学の影響をも受けて、下総香取郡長部村で独自の「性学」を教授。農村救済のために組織した先祖株組合は、農業協同組合運動の先駆。幕府の嫌疑を受け自刃。著「微味幽玄考」など。(1797〜1858)
⇒おおはら【大原】
おはら【大原】🔗⭐🔉振
おはら‐ぎ【大原木】🔗⭐🔉振
おはら‐ぎ【大原木】
大原女めが京都へ売りに出る薪たきぎ。黒木ともいう。狂言、若菜「木買うし木買うし―召され候へ」
⇒おはら【大原】
おはらごこう【大原御幸】‥カウ🔗⭐🔉振
おはらごこう【大原御幸】‥カウ
能。鬘物かずらもの。後白河法皇が大原寂光院に建礼門院を訪れると、女院は安徳天皇の最期を物語る。小原御幸。
→文献資料[大原御幸]
おはら‐め【大原女】🔗⭐🔉振
広辞苑に「大原」で始まるの検索結果 1-15。