いしだ‐ばいがん【石田梅岩】🔗⭐🔉振
いしだ‐ばいがん【石田梅岩】
江戸中期の思想家。通称は勘平。石門せきもん心学の祖。丹波生れ。京都に講席を開き、商人の役割を肯定するなど、庶民を教化。著「都鄙とひ問答」「斉家論」「石田梅岩語録」など。(1685〜1744)
→著作:『都鄙問答』
⇒いしだ【石田】
いしだ‐はきょう【石田波郷】‥キヤウ🔗⭐🔉振
いしだ‐はきょう【石田波郷】‥キヤウ
俳人。名は哲大てつお。松山市生れ。明大中退。水原秋桜子の「馬酔木あしび」から出て、清新な青春句と自己凝視の闘病句にすぐれる。句集「鶴の眼」「惜命」など。(1913〜1969)
石田波郷
撮影:田沼武能
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い‐したふ‐や🔗⭐🔉振
い‐したふ‐や
〔枕〕
(イは接頭語で、「い下経」また「い慕ふ」の意かともいう)「あまはせづかひ(海人馳使)」にかかる。古事記上「―あまはせづかひ」
いしだ‐みつなり【石田三成】🔗⭐🔉振
いしだ‐みつなり【石田三成】
安土桃山時代の武将。幼名は佐吉。治部少輔と称す。近江の人。年少から豊臣秀吉に近侍、五奉行の一人となり、太閤検地など特に経済・財政の面に活躍した。佐和山19万石の城主。のち徳川家康を除こうとして挙兵、関ヶ原に敗れて京都で斬首された。(1560〜1600)
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いしだ‐みとく【石田未得】🔗⭐🔉振
いしだ‐みとく【石田未得】
江戸前期の俳人・狂歌師。江戸の人。松永貞徳の門人。俳諧に長じ、また半井なからい卜養とともに江戸狂歌二大家。著「吾吟我集ごぎんわがしゅう」。(1587?〜1669)
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いしだ‐ゆうてい【石田幽汀】‥イウ‥🔗⭐🔉振
いしだ‐ゆうてい【石田幽汀】‥イウ‥
江戸中期の画家。名は守直。明石生れ。京狩野の鶴沢探鯨に学ぶ。写実性と装飾性との調和した花鳥画を得意とする。弟子に円山応挙・田中訥言とつげんなど。(1721〜1786)
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いしだ‐りゅう【石田流】‥リウ🔗⭐🔉振
いしだ‐りゅう【石田流】‥リウ
将棋の駒組みの一つ。江戸初期の盲人棋士石田検校の創案。後手の場合、飛車は3筋の4段目、その背後に桂をおき、端1筋の3段目に角をおく構えが正規の組方。
⇒いしだ【石田】
広辞苑 ページ 1027。