自由党史     →自由党🔗🔉

自由党史     →自由党 (上略)嗚呼明治十五年四月六日、是れ何の日ぞや。花は金華山を蔽ひ、人は陽春に舞ひ、自由の佳気葱葱として寰区に溢るゝの時、時や海道の党衆、斉しく総理を迎へて懇親会を金華山麓の神道中教院に開く。一堂唯だ頭顱を以て填め、復た寸隙を余さず。既にして板垣は会員の演説終るに及んで、徐ろに壇の中央に進み、滔々として自由の真理を口演したり。拍手屋瓦を震ひ、喝采四壁を崩さんとす。(中略)是日板垣は微恙あり、勉めて中教院の懇親会に臨みしも、其演説殆んど二時間の長きに亙り、心身倶に疲れ、為めに坐に耐へず、而かも会衆の感興を妨げんことを恐れて、随従者を止め、堅く党員の礼送を謝し、会のいまだ散せざるに先ち、独り辞して旅館に就く。時に午後六時、天地蒼然、夕陽将に西に沈まんとする頃なりき。板垣靴を穿つて起ち、傍に立てる接待員と覚しき四五の人々に一礼し、行くこと二三歩、忽ち一壮漢あり、其人々の中より現はれ、国賊と呼びつゝ、右方の横合より躍り来つて、短刃を閃かして板垣の胸間を刺す。板垣は是時赤手単身、洋杖すらも携へず、賊を見て大喝叱して曰く、咄、何する乎と。肱を以て強く敵の心臓を撃ちしも余りに力を入れし為め、下りて腹部に当る。敵は蹣跚(まんさん)として飛び退き、更に身を転回して正面より突撃し来る。飛刃電掣、悽愴極りなし。板垣敵の手首を扼せんとして、誤つて拳を握る。此時刃尖板垣の左側の胸間に触る。板垣身を転じて之を防ぎ、敵其目的を達せざるを知り逆捩(さかねじり)して刃を引き、板垣の右手為に傷(わんしよう)を蒙り、深さ殆ど骨に達す。板垣更に左手を之に添へ、相争ふ。内藤魯一、驀奔(ばくほん)し来り、直に凶漢の領(うなじ)を攫んで何する乎と言ひ、仰向に之を倒す。此時白刃敵の手を離るゝと同時に、亦板垣の手を離れ空を飛んで東北数歩の処に墜つ。板垣刺客を睥睨(へいげい)し、叫んで曰く『板垣死すとも自由は死せず』と。神警の一語、満腔の熱血と共に迸り出で、千秋万古に亙て凛冽たり。竹内綱、板垣の右手を見て鮮血の淋漓たるに驚く。板垣曰く、手は関(かま)はぬ、たゞ胸を二個処やられた故生命は駄目なりと。小室信夫傍にあり、声音に変りなし、呼吸は如何と問ふ。板垣乃ち自ら思へらく、声音に変りなく、呼吸も亦苦しからず、或は回生の望なきに非ずと。竹内創疵を見んと乞ひ、控鈕(こうじゆう)を脱し、短衣を排し、胸部を撿するに、果して二創あり。重しと雖も意外に深からず。竹内曰く、関はぬ関はぬと。                                〈岩波文庫〉

広辞苑 ページ 24224 での自由党史     →自由党単語。