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【孟子】モウシ🔗🔉

【孟子】モウシ 《人名》 前372〜前289 戦国時代の思想家。(ロ)の(スウ)(山東省)の人。名は軻(カ)、字(アサ゛ナ)は子輿(シヨ)。孔子の唱えるに加えてを説き、巧みに比喩(ヒユ)を用いたすぐれた議論によって、戦国諸子百家の説の中に、儒教思想の基礎を確立していった。亜聖といわれる。著に『孟子』がある。→「断機之戒(タ゛ンキノイマシメ)」「孟母三遷」 《書名》一四編。孟子が諸侯や門人・来訪者たちとかわした議論や対話を門弟たちが整理した書。孟子は名を軻(カ)といい、山東省鄒(スウ)県の人。孟子は、孔子の唱えた仁のほかに義ということを重視し、仁義礼智は「惻隠・羞悪・辞譲・是非」の心の働きとして人間に固有のものであり、その心を充実させれば、浩然の気となって正義の大道を進むことができるというが、これは単純な観念論である。また「民を重しとなす、君を軽しとなす」といい、人民は君主を追放してもよいとする一方で「心を労する者は人を治め、力を労する者は人に治めらる」とのべて、士〜民の差別を主張する。宋学がおこってのち、孟子の性善良知の論が儒家思想の主流であると認められ、朱子は『大学』『中庸』『論語』『孟子』を基礎的テキストと考えて「四書」と称した。ただし不徳の君主は伐(ウ)つべきだという孟子の主張は体制に反逆するものであるため、日本の江戸中期の国学者も、これを危険思想として批判した。逆に、王陽明のような心性自由を目ざす学派は個人の自覚をうながす『孟子』の勇気を高く評価した。本書は、江戸末期の吉田松陰ら幕末の志士を鼓舞する心のかてとなった。四書の一つ。十三経の一つ。 孟子像

学研漢和大字典 ページ 1736 での孟子単語。