牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)🔗⭐🔉振
牛に引かれて善光寺参り(うしにひかれてぜんこうじまいり)
たまたま他人に連れられて、ある場所へ出かけて行くこと。また、自分の意志からではなく他人の誘いで、思いがけないよい結果を得たり、よい方面へ導かれたりすることのたとえ。
[注釈]昔、RUB:E信濃RUB:Sしなの(長野県)の善光寺近くに住みながら、信仰心など持ち合わせていなかった老婆が、ある日さらしておいた布を隣の家の牛がRUB:E角RUB:Sつのにひっかけて走り出したのを見て、それを追っていくうちに、いつの間にか善光寺に駆けこみ、それが縁で深く信心するようになったという説話から。
[用例]六十のお婆さんまでが牛にRUB:E牽RUB:Sひかれて善光寺詣りで娘と一緒にダンスの稽古に出掛け、おさんどんまでがRUB:E夜業RUB:SよなべのRUB:E雑巾刺RUB:Sぞうきんさしを止めにして坊ちゃんやお嬢さんを先生に「イット、イズ、エ、ドッグ」を始めた。〔内田魯庵『思い出す人々』〕
牛の歩み(うしのあゆみ)🔗⭐🔉振
牛の歩み(うしのあゆみ)
のっそりと歩く牛の歩き方のように、ものごとの進み方が遅いことのたとえ。
[注釈]「RUB:E牛歩RUB:Sぎゅうほ」ともいう。
[用例]牛の歩みの工事で、いっこうにはかどらない。
牛の小便と親の意見は長くても効かぬ(うしのしょうべんとおやのいけんはながくてもきかぬ)🔗⭐🔉振
牛の小便と親の意見は長くても効かぬ(うしのしょうべんとおやのいけんはながくてもきかぬ)
牛の小便は時間が長くかかるが肥料として効き目がなく、親の説教も長いからといって効果があるわけではないということ。
牛の角を蜂が刺す(うしのつのをはちがさす)🔗⭐🔉振
牛の角を蜂が刺す(うしのつのをはちがさす)
なんとも感じないたとえ。
[注釈]牛の角を蜂が刺しても、痛くもかゆくもないことから。「RUB:E鹿RUB:Sしかの角を蜂が刺す」ともいう。
[類句]石地蔵に蜂
学研故事ことわざ辞典 ページ 108。