おお‐いし【大石】おほ‐🔗⭐🔉振
おお‐いし【大石】おほ‐
大きな石。
おおいし【大石】おほいし🔗⭐🔉振
おおいし【大石】おほいし
姓氏の一。
おおいし‐ちから【大石主税】おほいし‐🔗⭐🔉振
おおいし‐ちから【大石主税】おほいし‐
[一六八八〜一七〇三]赤穂浪士(あこうろうし)の一人。良雄の長男。浪士中の最年少。
おおいし‐ちびき【大石千引】おほいし‐🔗⭐🔉振
おおいし‐ちびき【大石千引】おほいし‐
[一七七〇〜一八三四]江戸後期の国学者・歌人。江戸の人。加藤千蔭(かとうちかげ)に師事。著「言元梯」「日中行事略解」など。
おおいし‐ひさたか【大石久敬】おほいし‐🔗⭐🔉振
おおいし‐ひさたか【大石久敬】おほいし‐
[一七二五〜一七九四]江戸中期の農政学者。筑後国久留米の人。高崎藩の郡方(こおりがた)役人。著「地方凡例録(じかたはんれいろく)」。
おおいし‐まさみ【大石正巳】おほいし‐🔗⭐🔉振
おおいし‐まさみ【大石正巳】おほいし‐
[一八五五〜一九三五]政治家。高知の生まれ。自由民権運動に参加。自由党・進歩党・憲政党の創立に加わる。大隈内閣の農商務相。
おおいし‐よしお【大石良雄】おほいしよしを🔗⭐🔉振
おおいし‐よしお【大石良雄】おほいしよしを
[一六五九〜一七〇三]播磨(はりま)赤穂(あこう)藩士。浅野長矩(あさのながのり)の家老。通称、内蔵助(くらのすけ)。同志とともに吉良(きら)邸に討ち入り、主君の仇(あだ)を討った。幕命により細川家に預けられ、のち切腹。
おおいそ【大磯】おほいそ🔗⭐🔉振
おおいそ【大磯】おほいそ
神奈川県中南部の地名。相模湾に臨む。もと東海道の宿場町。明治一八年(一八八五)日本最初の海水浴場が開かれ、別荘地として発展。西行ゆかりの鴫立沢(しぎたつさわ)跡に鴫立庵がある。
おお‐いそがし【大忙し】おほ‐🔗⭐🔉振
おお‐いそがし【大忙し】おほ‐
[名・形動]きわめて忙しいこと。また、そのさま。「田植えで―の時期だ」
おお‐いそぎ【大急ぎ】おほ‐🔗⭐🔉振
おお‐いそぎ【大急ぎ】おほ‐
[名・形動]たいへん急ぐこと。また、そのさま。「―で用を済ます」
おおいた【大分】おほいた🔗⭐🔉振
おおいた【大分】おほいた
[一]九州地方北東部の県。もとの豊後(ぶんご)国全域と豊前(ぶぜん)国南部にあたる。[二]大分県中部の市。県庁所在地。もと豊後国府の地で、府内とよばれた。戦国時代は大友氏の、江戸時代は大給(おぎゆう)氏らの城下町。別府湾岸は重化学工業地。人口四一・六万。
大辞泉 ページ 1932。